@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

以前から宗教全般に学問的な興味があり、しかし勉強するにもとっかかりがないし、特定の宗教についてではなく「宗教とは何で、なぜ複数あり、それらはどのように違うのか」みたいな概論を知りたいんだよなぁ、と漫然と思うばかりだったが、たまたま本屋でそれっぽそうな本を見つけたので読んだ。面白かった、が、手放しで薦められるかというと疑問符がつく。なおこの本は「この宗教はこういう理屈で信者を救うと言っておる」と述べているだけで、この本じたいが宗教的な意味で読者を救ってはくれないので、救いを求める人は読んでも意味がない。

著者は有名な学者のようで著作も多数あるが宗教学が専門ではない。なので、世界三大宗教の要点をかいつまんで一般読者にわかりやすく伝える、という目的はよく果たしているものの、各論の信憑性には時おり疑わしいところがある。自信満々に断定することも多く、「ほんとか?」という気持ちになってくる。ぐぐってみるとやはり認識の正確さについて批判も見つかった。

しかし本書は学術書ではないし、著者の姿勢は「日本人は宗教学者ですら偉い学者の学説を鵜呑みにして自ら原典を読もうとしない。だから日本人は宗教について無知なのである」というものだから、本書の読者もまた著者の主張を鵜呑みにせず、疑わしい点があれば自ら調べて学ぶことが推奨されることに疑いないので、ある意味でお手本を示しているのだとも思えてくる。

内容は実に半分くらいがキリスト教についての解説で、仏教やイスラム教への言及は見るからに少ない。しかし、キリスト教の「予定説」や「原罪」「贖罪」という考え方がいかに難解か、という点をこれでもかと強調しており、多くのページを割くのも致し方ないのだろうと思う。その甲斐あって、キリスト教の思想と論理については非常に大雑把ながらもよくわかった。仏教やイスラム教との比較も頻繁に行われ、相互に理解が深まるようになっている。

内容は全編にわたって平易で、学者の本にありがちな小難しさは皆無だ。しかしそのぶんやや破天荒というか、雑な印象も否めない。Amazonのレビューにもあるが、同じ内容を2度3度どころではなく何度も繰り返し主張するのはいささかくどく感じるし、そのような章立ての本は編集が稚拙だとも感じる。

以下、内容の私的まとめと付随して考えたこと。

  • ユダヤ教の神は一言で言うと「恐怖」の象徴のように思える(自然に対する畏怖みたいなもの?)
  • キリスト教のキーワードは「予定説」と「原罪」で、「救われる人と救われない人は予め決まっているから現世でどう生きようが結果に影響せず無意味」というものだが、キリスト教を体系立てた昔の賢い人たちが「悔い改めよ、と言われたところでどうせ結果は変わらないのではないか」という批判に対し「悔い改めよ、という言葉が届いている時点であなたは選ばれているのだ」というロジックの転換をしてつじつまを合わせた。また「自分は救われないかもしれない」という恐怖に人は耐えられないので「そもそも人は原罪があるから全員救われないはずだったがイエスがその罪をすべてかぶってくれたおかげで我々は全員救われることになった」という理屈をつけたことで求心力を高めた。
  • 因果律を否定するキリスト教と因果律がすべてである仏教、という対比に対して、イスラムの神は予定説と因果応報をミックスさせており、ご都合主義に思える。最も厳格な印象があるイスラム教が、むしろ最もいろいろな点で「甘い」のは不思議な感じがした。
  • キリスト教においては「永遠の生命」が究極目標なのに対し、仏教においては「輪廻(生まれ変わって生き続ける)からの解脱(永遠の死)」が究極目標である、という著者の視点はとても興味深かった。罪とは何か、という根本的な価値観が真逆。
  • 原始キリスト教の価値観からいえば「教会」のようなものは異端である、という主張も納得感がある、が、なんかここは素直に同意してはいけない危うさを感じる。「あれだけカトリック教会だの、修道院だのと宗教施設や聖職者が実在してるのに、それが実は異端でした、なんてことがありえるとは思えない」と考えずにはいられない。が、啓典に忠実である限りは本来不要なはずの「教団」的な組織ができてどんどん肥大化し金と権力が集まってしまう、という構造的な問題に意識を向けるのはとても大事なことであるように感じた。

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか

日本人のための宗教原論―あなたを宗教はどう助けてくれるのか