@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

雨で花粉症がやや楽だったので帰宅後に気持ちが張ってるうちに家事をした。

  • ペットボトルの中身を捨ててゴミ出し
  • ダンボールゴミ出し
  • 不燃ゴミゴミ出し(蛍光灯と傘)
  • 洗濯二回乾燥一回
  • 畳む干す

今日はゲージ減らす系の仕事があって疲れきるかと思いきや、ハードめの仕事よりも花粉の方がずっと心身へのダメージが大きいようだ。

体調不良

花粉症が悪化してきた。鼻がつらい。体力気力をかなり消耗しており週末もほぼ寝ていてろくに活動できない。

お腹の調子も悪い。ロイケリンの効果は出ているもののクローン病を抑えるほどではないのか、CRPが2を超えてきた。腹痛も。

仕事は相変わらずマネジメントとかいう、意味あるんだか無いんだかよくわからんことばかりで、楽しくもなければ自分の強みに合ってるとも思えない。

習慣

土日に風邪をひいて途切れた。継続数は39だった。何かを習慣づけようとして一ヶ月以上も続いたのは初めて。スキップを使ったが、思い直してやめた。大事なのは継続数ではなく、習慣化すること。自分は続けられることがわかったのだから、途切れたことなど気にせずまた始めて、続ければいい。

会社の Slack に、誰が追加したのか「さすが部長」というカスタム絵文字があり、日本企業っぽすぎて気持ち悪いなぁと思うのだけど(「さすがVPoE」というのもある。昭和の高度経済成長期じゃあるまいし)、会社では VP は Division に責任を負い、 Division は部に相当するようなので、「部長」とかめっちゃ気まずい(50代くらいで恰幅がよくてスーツをバリッと着こなしてるおじさんのイメージなので自分の自己認識とかけ離れている)けど仕方ないんだけど、そういえば部長の仕事ってなんなんだろ、と調べたり勉強したりしたことなかったので少し調べた。

部長の役割とは?事例で分かる部長の6つの仕事と役割 | Senses

部長の役割と責任――「大課長」になっていませんか? |社員研修・教育ならPHP人材開発

概ね自分の理解およびやってることとズレてなさそうでよかった。最初から認識できてたり自発的にやれてたわけではなく、周囲から「意思決定」とかを促されるにつれて、求められてるのはこういうことかな?と探り探りやってきた感じ。とはいえ中長期的なことを考えるのはもともと好きで、言われなくてもやってたし(自分の仕事ではないので意見を求められたりしなかったし、考えに基づいてアクションすることもなかったけど)、逆に「ヒト・モノ・カネ」の配分は苦手かつ超嫌だし、育成とかも正直あまり上手くないと思うので、できてないこともある。

一年

2018年度が終わった。仕事を中心に振り返る。

第一四半期

年度始めのメンテナンス作業でトラブルに見舞われたのを相当無茶をしてどうにかしのいだのもつかの間、重要な会議や海外出張の合間にプレゼン資料を作ったり別のメンテナンス作業のための開発をしたりしていた。人が辞めていったり不満があがってきたりするのに対処したり採用活動がうまくいくようにしたり。「現場」で手を動かすことを諦めきれずに仕事を抱えた結果、危ない橋を渡った。心身への負担も大きかった。

第二四半期

何をやっていたかあまりよく覚えていない。ヘッドハンティングに心血を注いだり、組織課題を解決するためにどうしたらいいか相談したりで人事マネージャーとのやりとりが増えた。採用活動の結果がようやく出だして人が増えてきた。それにつられたり他にも好材料があったりして組織の雰囲気が上向いてきた。前四半期の反省から、手を動かす仕事を諦め、マネジメントに徹することを前向きに受け入れようと努力したが、かえってストレスを抱え込むことになった。

第三四半期

初日からギランバレーで入院・休職し、仕事納め直前に発熱性好中球減少症でまた入院した。半分以上休んでいたが、短い復帰期間中に大小様々な人事のあれこれをやったりして、あるべき組織の形に近づけようとした。身体が弱いことを再認識し、もはやプレイングマネージャーは務まらないし細々したことを抱え込むのも無理だと察して重要な意思決定に注力しようとした。管理職が嫌であると公言するのを我慢することをやめた。

第四四半期

病み上がりだったり治療方針が模索中だったりで体調面の不安定さがあった。「資源配分」にまつわる仕事のために関係各所との調整に明け暮れた。前四半期に引き続き、人が増えたぶん組織として無理なく運営できるようにあれこれやった。一年を通じて上司と議論しつつ考えてきた技術的なロードマップを具体的に進めていくためのあれやこれやを考えたりした。ぼかさないと書けない微妙な事柄に加えて管理色を帯びた仕事も増えてきて、いよいよ「現場」で誰が何をやっているか追えなくなってしまった。

総じて、ひどい一年だった。それでもどうにか折り返し地点を通過した。そう思わないでどうしてやっていける。