@kyanny's blog

My life. Opinions are my own.

仕事の納得感

知人と話したこと。

仕事の納得感がない、という話を見聞きすると、「嫌ならやらなきゃいいじゃん、やるならつべこべ言わずやりゃいいじゃん」と思ってしまうのだが、

自分のなかに「仕事というものは、自分で勝手に納得するものである」という価値観があることに気づいた。

こっちで勝手に理由を考えて納得するから、むしろ余計な解釈を押し付けないでほしいくらいだ。

目の前の仕事がビジョンとかミッションのような大きな目的といかに繋がるのかを考えて理解・納得する過程で「やりがい」を感じるわけで、それを安易に他人から与えられても、そんなのは納得したといえるのか。納得した気になってるだけじゃないのか。

納得いかなければ、納得いくまでとことん議論すればいい。食い下がればいい。説明責任を果たすのは仕事を任せようとする側の仕事。しかし、説明責任を果たさせるのは仕事を請ける側の仕事だ。

スマホで済ませない

MacBook Air を買ったのにろくに使っておらず、使う理由を増やさないといけない。とはいえ重たい作業をする気力もないので、ブログを書くくらいがちょうどよいはずなのだが、これも結局スマホで書いている。仕事以外はスマホで済んでしまい、仕事用のマシンを持ち帰らなくなったので自宅で仕事もしなくなってしまったのでなおさら。他にも何か、MacBook Air で作業するのを阻む理由があるはずなので、解決したい。

ブログに引きこもる

一意のタイトルはつけたくないし、ハッシュタグをつけるのもいや、という気持ち|佐々木大輔|note

ブログを語れるほど詳しくはないけど。

ブログが登場したとき個人ウェブサイトとかウェブ日記と比べて画期的だと評価されていたのは、トラックバックによって他のブログと繋がれたり、RSSフィードを配信することによって広く情報発信できることだったと記憶している。つまり、ブログはそれまでに存在した「個人のためのインターネット」と比べて「(他者に対して)開かれている」ところに特長があった。

それが今やどうだ。ブログは開かれているどころか、積極的に引きこもるための場所になってしまった感すらある。RSSリーダーは衰退し、人々はRSSフィードを購読するのではなくSNSのタイムラインを眺めることによって情報を得るようになった。誰かがSNSにシェアしない限り、ブログに書いたことは(一部の物好きな人々以外には)基本的に読まれないし話題にもならない。

トラックバックは絶滅し、ブログ同士が繋がるという感覚も失われた。ブログというプラットフォームはもはや繋がる仕組みを提供せず、特定のブログサービスがサービス内に閉じた繋がりの仕組みを提供している場合にのみ、互いに互いを感知できる。そういう仕組みがないサービスを使っていたり、サービスをまたいで言及されたときは、SNSを介さなければ繋がれない。この記事冒頭のリンクも、リンク先の著者が気づく可能性は高くないだろう。

どちらかといえば身近な人々と密度の高い交流を楽しむために生まれたSNSが、本人が望まないくらい広範囲にメッセージを届けてしまうパワーを持ち(その結果しばしば炎上し)、それとは逆の志向をもって生まれたブログのほうが、ひっそりと狭い範囲の人々にだけメッセージを届けやすいものになってしまっている、という状況は、なんとも皮肉だ。おれがTwitterにでも書けばいいようなことばかりブログに書くのも、文字数制限ばかりが理由ではない。

Mac キーリピートを早くする

$ defaults write -g InitialKeyRepeat -int 15
$ defaults write -g KeyRepeat -int 2

ログアウトして再ログインで反映。ちょうどいい塩梅を見つける試行錯誤がややめんどい。会社で使ってるマシンの設定をメモしておくべきだったか。

qiita.com

現在の値の調べ方。

$ defaults read | grep -i keyrepeat
        InitialKeyRepeat = 15;
        KeyRepeat = 2;