このメモとそのコメントの論調は、「容姿をその人の最大の判断基準とするのは間違っている」というものだと思う。それには一理あると思うのだが、そこまで憤りを感じられない。何故か。俺のなかには、「キモメンより童貞のほうが重大なコンプレックスである」という絶対不可侵な価値観があるから。キモメンを前面に押し出して「だから非モテで」というひとのことは、理解できるが共感はしないという感じ。「キモメン非モテで、当然童貞」だと明記されていれば、後ろの条件に反応して共感できるんだと思うけど。「キモメン非モテ」だけでは童貞かどうかわからない。「童貞じゃないならまだマシだろ」と考える余地が残ってしまうからいまいちノれない。
で、2ページだけ読んで積読っていうかどこにいったかわかんなくなっちゃった「電波男」だけど、あれを論じているネット上の記事とか、あの本の書き出しとか、いろんなものを見て、どうもやっぱりなんかノれないな、と感じていたのは、あの本も「童貞」ではなく「キモメン非モテ」を前面に押し出して書かれているからなんだろうなあと気づいた。この本におけるコンプレックスのピラミッド構造の一番上にあるのはキモメン非モテなんだなあと感じてしまって、童貞としての仲間意識みたいなものが出てこなかったのかも。
「童貞であることは暗黙に了解されているから明示していないだけだ」といわれそうだけど。でもなあ、現に「童貞であること」にコンプレックスを抱いている人間からすると、そこにコンプレックスを感じずにいられるのは楽そうに見えてしまうわけなんだよな。見当違いなんだろうけど。他人の庭の芝は青くみえるんだ。