セサミストリートの video podcast をみていて、俺はあの赤とか緑の毛むくじゃらどもをみて「薄気味悪いクリーチャーだな」と思うのだけど、例えば俺がアメリカの富裕層の家庭に産まれて小さい頃からセサミストリートをみて育ったとしたら、奴らをみて「かわいい」と感じたりするのだろうか、という疑問を抱いた。
前にブログに書いたような気もするけど、「日本語を母国語としない人が日本語を耳にしたとき一体どういう風に聞こえるのかを体験してみたい」という疑問に近い。
「日本語を母国語としない人が日本語を耳にしたとき一体どういう風に聞こえるのか」については、予想では「典型的な「あーこれは日本語だね、何言ってるか俺にはさっぱりわかんないけど」という聞こえ方があり、中国語や韓国語とは明確に区別できる」んじゃないかと思っている。けど違うかもしれない。そしてそのいずれであっても俺には体験しようがない、ということが悲しい。今から俺が日本語をすっかり忘れてしまうことなんてたぶん記憶喪失にでもならない限り不可能だものなあ。
記憶喪失でまた余計なことを思いついてしまったのだけど、ある一つの言語しか知らない人が、事故で記憶喪失になり、その言語に関する一切の知識や記憶を忘れる、ということはありえるんだろうか。産まれたばかりの赤ちゃんは言葉を知らないだろうから、仮に言葉を忘れたとしても、思考はともかく感情は感じられるし表現もできるようになっているのかな。人間の仕組みは。