やはり Manager の仕事は割に合わない、と思う。
「マネージャーやってたチームを離れるとき、メンバーから感謝されて、やっててよかったと思った」と同僚が言ってたけど、あいにくおれはそんなふうにポジティブには受け止められない。去るときに言われても遅いよ、もっとはやいタイミングで感謝しろよ、つーかむしろ感謝されるためにいますぐ消えようか?と思ってしまう。
どう考えても Individual Contributor のほうがいい。そういう考え方をしている時点で、
やはり Manager の仕事は割に合わない、と思う。
「マネージャーやってたチームを離れるとき、メンバーから感謝されて、やっててよかったと思った」と同僚が言ってたけど、あいにくおれはそんなふうにポジティブには受け止められない。去るときに言われても遅いよ、もっとはやいタイミングで感謝しろよ、つーかむしろ感謝されるためにいますぐ消えようか?と思ってしまう。
どう考えても Individual Contributor のほうがいい。そういう考え方をしている時点で、
解決の糸口があるのかすらわからないような問題に取り組むのはしんどい。ちゃんと解決できる問題を寄越してくれ。
同僚が紹介していたので買ってみた。
序章と、表題である「テクノロジー思考」そのものについて書いてあるらしい最終章を先に読んだ。一応自分もテクノロジーの欠片を使って飯を食う側の人間ではあるので、「おれは読まなくてもいい本かな・・」という感想。肝心の「テクノロジー思考」は掴みどころがなく、その点で「デザイン思考」に通じるものがある。内容とは関係ないが、文章が大げさというか、やけに肩肘張ってる感じで読みづらい。なんでわざわざ偉そうに見える「である調」を選んだんだろう。
ほぼ巻末のこの一文は印象的だった。
「ブロックチェーンが次に来るだろうからそれに賭けてみよう」ではない。「ブロックチェーンを次世代の標準プロトコルにすべく自らの手で創り上げよう」である。パソコンのキーを叩くのではなく体の一部として機能するコンピュータがあるべきであり、人は電気で走るかっこいい自動車に乗るべきであり、人類はもっと宇宙に行くべきであり、そうなるに決まっている――であれば、自らそれを創らない理由などない。
アラン・ケイの名言を引用したあとで同じような話を書いているので、論じていること自体に目新しさは感じないが、自分も無意識に「次に来る技術は何か」のような考え方ばかりするようになっていたことに気付かされた。「この技術に惚れ込んだから、これが世の中に広く普及して自社で採用するメリットが増すように自らコミットしよう」というスタンスでありたいものだ。仕事で使うものを選ぶときは、そう綺麗事ばかりも言っていられないけど。
最近また利用頻度があがってきて、 MacBook Air から使いづらいので、以前からしようしようと思っていた再購読をした。
プラットフォームによって値段が違ったりするものだったりすると思って、安く買いたいというよりは差異が気になってぐずぐずとやらずにいたが、 Mac App Store と Google Play は同額のようだった。 iOS の App Store から購入を試してはいないけど、やはりそっちは少し値段が高そうにみえる(が、手数料ぶん上乗せしてるほど高くはなさそうで、謎)
ハーバード・ビジネス・レビュー リーダーシップ論文ベスト10 リーダーシップの教科書
結局こちらも買ってしまった。立ち読みした「レベル5リーダーシップ」という論文の一節が非常に印象に残ったので。
対照的に、レベル4のリーダーは、持続的な成功に向けて自社の体制を整えるのに失敗することが多い。「結局、自分の偉大さを証明するには、自分が離れたらその会社は駄目になった、というのが最善ではないか……」と考えるのだ。
自分もこういうことを考えたことがある。というか、かなり頻繁に考えてしまう。「立つ鳥跡を濁さず」とか、「トラブルの火消しをして自分が目立っているようではいけない、トラブルに発展しないように先手を打つのが自分の仕事だ」とか、自分に言い聞かせているものの、人知れず(ってわけでもないが、まぁ公にではなく水面下で)問題に対処してトラブルの芽を摘んだ結果、「あの人は普段いったい何をやっているんだろう?」と思われてしまう、存在感が薄くなっていく、そういうときおれはどうしても「うまくマネジメントしている自分」を肯定することができない。「好きでやってるわけじゃないのに、誰のためにやっていると思っているんだ」とおれの怒りが有頂天になったとき悪魔のような考えが首をもたげてくるのだ。
比較対象とした企業の四分の三以上で、後継者が失敗するような要因を残したり、力不足の後継者を選んだり、あるいはその双方の失敗を犯している例が見られた。
でもやっぱりそれは邪悪な考えであることは確定的に明らかなのだから、「さすがにナイトは格が違った」なんて言われることを期待してはいけない。