@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

Re: Re: ブログ

Reblog といえば Tumblr だったわけだが、その Tumblr ブームに乗れなかったおれがよりによって「Re: ブログ」の話題で取り上げられるとは。名前空間汚染っぽさも相まって若干気まずいような気もするが、Tumblr の現状を鑑みると「インターネットの辺境ローカルでリバイバル」ってことでむしろアリなのかもしれない。

Blog といえばトラックバック、だった時代もかつてあったけど、実はトラックバックの機能自体は特にいいものだとは思っていなかった*1。むしろ文化的な側面、他人のブログに言及するのは良いことだ、というカルチャーを機能で肯定していたのが良かったのだと思う。実際、トラックバックを送れる送れない・受け付けてる受け付けてないに関わらず、言及し合うのは楽しかった。

ところで冒頭の記事下「この記事の関連商品」が「Re:Re:」でニヤリとした。あと連打!はてなスターをつけるところに「(連打できます)」と書き添えてあって、わかってるな〜とニヤニヤした。週刊はてなブログの著者陣とはセンスが合う気がする。かたやはてなで15年もブログを書いてるユーザー、かたやはてなブログの中の人たちなので、感性が近いのも当然ではあるか。

*1:特にリンク元ブログの URL がトラックバック先のブログに表示されるのが、アクセス解析のリファラーと同じ発想に感じられて、「見られていること」を意識させられて嫌だった。あれがトラックバックスパムを産み、トラックバック自身はおろか宿主のブログ自体も衰退させた元凶だと考えると皮肉だし、時を超えてはてなブログで「id コール」が「控えめなトラックバック」として生き残っているのも感慨深いものがある。

金沢に引っ越した

15年暮らした東京都杉並区久我山から、妻の実家がある石川県金沢市に引っ越した。

いずれは金沢に移住しよう、という話はしていたが、定年退職後とか、何十年も先になると思っていた。ところがここ数年で状況が変わった。妻が仕事を辞め、おれはフルリモートの仕事に就いた(コロナ前からフルリモートだったポジションなので、コロナ移住ではない)。通勤が不要になり、東京都内はおろか首都圏に住む必要もなくなった。ならば予定を大幅に早めてすぐ移住してもいいのでは?去年くらいからそう思い始めた。

仕事による生活圏の縛りが無くなった以外にも、移住したかった理由がいくつかある。金沢には妻の母が一人で、いや猫一匹と同居していて、妻とはとても仲が良いこともあり、やはり寂しそうで気掛かりだった。自分達が飼っている二匹の猫にも、もっと広くて快適な住処を与えたかった。杉並区の部屋は猫二匹と人間二人が暮らすには狭く、特に上の猫は二匹目を迎え入れてからややストレスを感じていそうでもあり、気になっていた。上の猫はシニア期に差し掛かりつつあり、負担をかける引越しは高齢になる前に済ませておきたかった。これら家族の便益に加えて、空が広く自然や街並みが魅力的な金沢の街におれ自身も暮らしてみたかった。

ペット可の賃貸物件がなかなか見つからず、妻の実家をリフォームして同居するしかないかとも考えたが、一年に及ぶ妻の部屋探しの執念が実ったのかたまたま妻の実家から徒歩圏内に条件を満たす部屋が見つかり、妻が入念に内見・不動産屋とやり取りしたのちおれも日帰りで内見してその場で入居を決めた。

杉並区では同じアパートに15年住んだ。杉並区にもこの部屋にも、まさかこんなに長く住むとは思わなかった。駅から徒歩二、三分と近く、久我山は閑静な街で居心地もよかった(近年は俗っぽい店ができたりして雰囲気が変わってきたが)。何かきっかけがないとうっかり一生住みかねなかったので、適当なタイミングで踏ん切りがついてよかった。さすがに15年も暮らすと愛着も湧き、東京を離れる一週間ほど前からはしんみりした。名残を惜しむ時間はあったので、退去日当日にがらんどうになった部屋をあとにするときは感傷的にならずに済んだ。大家さんと不動産屋さんは良くしてくれた。特に、猫を飼わせてくれたのは大きかった。良く通った店など、顔馴染みになった人々との別れはやはり少々寂しい。

引っ越し後しばらくは妻の実家に滞在するので、本当の意味で新生活が始まるのは少し先のことになるけど、どんな暮らしが待っているのか、年甲斐もなくワクワクしている。人生の新章が始まる。

Bizmates Program: Level 3 Rank D Lesson 3: Setting training goals

ミスター保護猫と。「やあ、今日はどんな日ですか?」今日は特別な日なんです「聞かせてください」十五年住んだ東京から金沢へ引っ越すんです。もうすぐ業者が来るから騒がしかったらごめんね「ああ、だから君の部屋の背景がタタミの部屋っぽいのかな(?前は居間でレッスン受けてたからか)問題ないです、私の生徒に小さいお子さんが4人いる人がいて、いつも元気な声が聞こえるから騒がしいのは慣れています」思ったより話が広がらず、「何か聞きたいことはありますか?」そういえば君の猫は元気ですか?「はい、彼女は今も私のそばにいますよ」カメラの位置をずらすと、彼のすぐ右隣に猫のキャリーバッグがあって、その中に結構多いなハチワレの猫が寝てた「彼女はいつも私のそばにいたがる。キャリアーを見ると怖がる、それは病院に連れていかれる印だから。でも中は快適。だからここに置いて、いつでも私のそばでゆっくり過ごせるようにしている」「ところで、君にこの話をしただろうか、私はある大きな決心をしました」なんだろう、なにかな「来年、大学の獣医学部に入学します。開業するためではない、チャリティーの動物病院を開いて野良猫や貧しい人たちのペットを助けるためです。獣医に連れて行くのもお金がかかる。自分で手術できればなお良い」すごい、おめでとう「卒業するのに六年かかる。私はそのとき36歳。ライセンスを取ってから活動を始めたとして、手術一つにつき45分かかるから、私が70歳まで続ければ20万匹の野良猫を救える」世の中にすごいインパクトがあるね!「いや、残念ながらそれには同意できない。野良猫はたくさん(二千万匹?二億匹?)いる。毎年増える。一匹が一度に四匹、五匹産む。私一人で手術してもインパクトは大きくない。でも私にはもう一つ目標がある。政府や自治体?に意見書?を提出してすべてのペットショップとすべての合法・違法なブリーダーをシャットダウンさせる。犬猫を買えなくなれば、欲しい人はレスキューするしかなくなる。より多くの猫を救える」それでも素晴らしいことだよ「本当は今年から始めるつもりだったが、今年はもうセメスターが始まってしまっていて遅かった。だから、来年から。でも、それまでも自分で学習を続ける。私はすでにある程度の知識があるが、復習するのもいい」教えてくれてありがとう!と、改めて書いてて思ったが、彼は自分の話をしたいタイプなのかも。見た目や物腰が落ち着いてるから第一印象は聞き役っぽいが、うちに秘めたる情熱は誰にも負けないだろうからなあ。しかし、これまでもガチだと思っていたが、自分で手術するために獣医になるとは、正真正銘のガチ勢だな。勢なんてものではない。オンリーワンだ。

引っ越し屋がきて一気に慌ただしくなったが対応は奥さんに任せてレッスン。周りに知らない人がいても気にせず英語で喋れるようになったのを改めて実感した。Try の 4 は自分の仕事に必要なスキル、なのでまず自分の仕事を割と詳し目に説明きて、テクニカルな製品のテクニカルなサポートだからITや製品のテクニカルな知識が必要で、さらにトラブルシューティングのスキルもいる。そして、お客さんと直接コミュニケーションするので、コミュニケーションスキルも必要。と。「先へ進む前に何か質問は?」あーえーと、この答えって想定回答に沿ってる?「もちろん。僕なら、会社のカルチャーや仕事の進め方とテクニカルスキルの二つの側面を教える」あー文化とかは言及し忘れたサンクス。Act は彼が割とリードするというかたくさん喋るのでこちらは相槌を入れつつ話をつないでいく、というスタイルだった。時間いっぱいでちょうど終了。

Lesson 3 までたぶん終わり、次は Lesson 4 から。終わって即引っ越し作業の監督(単に邪魔にらなないようにぼーっと突っ立ってるだけ)を始めたので次を予約しそびれた。

  • The unique aspect is..
  • Even software developers are accustomed to.
  • My job is answering their technical inquiries..
  • Every software has a glitch.
  • My teammates and I..
  • They will learn some specific areas on a deeper scale.

引っ越し前日はいい感じに雲がある晴れの日だったが、二日ずつの休みの間に一日だけある勤務日だったので仕事に集中しすぎた結果、日が落ちる間際の夕焼けを撮り損ねた。この街の暮らしで見る最後の夕焼けだったのだが。残念。

まあ、またいつか。

Apple iPhone 13 Pro
Apple iPhone 13 Pro back triple camera 5.7mm f/1.5
ISO 50 26 mm 0 ev f1.5 1/9434 s

中華そば つけ麺 甲斐

この街に暮らし始めたときからあった、意外に長い店。一時期はちょっとした有名店だった。最近でも昼時などは何人か並んで待っている(行列ができるほどではないが)。

奥さんが好きな味で、たまに食べにきていた。なので最後に食べていったら、としつこくせまって、引っ越し前日の昼に食べさせることに成功した。

東京暮らしで食べる飯も残り回数あとわずか、というか結局この街ではこの店が最後になった。奥さんとこの部屋で暮らし始める前、隣町の奥さんの部屋から週末に歩いて食べに来たこともあった気がする。ある意味、最初の店で最後を飾ったのかもしれない。