「質の悪い子どもを増やしてはダメ」NHK党の立花孝志党首が日曜討論で発言 | ハフポスト 政治
この発言をめぐって「優生思想だ」という批判と「優生思想を批判する人たちだって美形や金持ちと結婚したがったり優生思想的な行動をとってるじゃん」という反論が Twitter で繰り広げられてた。眺めてて思ったのは、優生思想・優生学という言葉を正しい意味で使っているひとはどれくらいいるのか、ということ。拡大解釈に基づいているのでは、と思うような意見も多くみられた(特に批判への反論において)。
厳密な議論に耐えるほどおれはこの分野を正しく理解できてる自信はないが、「新優生学」のこの説明がわかりやすい。
「古い優生学」は、集団の遺伝的な質を改善するために、社会にとって望ましくない子孫の出生防止、または望ましい子孫の出生促進という形で政策実行された。これに対して新しい優生学は、個人の自由な意思に基づく場合に限って、子孫の遺伝的な質を操作することを許容し、それを「生殖の自由・権利」とみなし、社会による規制を不当なものと考える[1]。子供の環境を向上させることが認められている以上、それと同様な効果を得られる遺伝子への介入は禁止されるべきではないと考える[1]。生命への介入は、あくまでも個人がどのような子供を作るかという選択であり幸福追求権の行使であって、遺伝子プールの改善が目的ではない[1]。
乙武氏のこの発言が、さらに噛み砕いている。
「いやいや乙武さんは文才が、弁舌が、そもそも複数の女性と(以下自粛…」とのコメントをいただいているけど、それもすべてこの世に生を享け、育ってきた結果なんですよ。
— 乙武ひろただ/参議院議員候補(東京選挙区・政党無所属) (@h_ototake) 2022年7月3日
だけどね、優生思想って、そもそも特定の人に「生まれてくることを許さない」という考え方なんです。
可能性さえ許されない。 https://t.co/gGylAcSq71
Wikipedia の記述にもあるように、厳密にはダブルスタンダードがまかり通っているのが現状、ではあるものの、政治家が国家の政策として優生学的な発言をするというのは、やはり許容できない。個人の意思の問題と、集団によって強制力をもって施行される場合の問題はレベルが違い、はっきりと区別して議論すべきだ。