@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

村一番の秀才より世界都市の名もなき市民でありたい

いつの頃からか、そんな風に思うようになった。

これまで、「自分には無理、届くわけない」と思っていた頂に気づいたら辿り着いていた、という経験を何度かした。そこは全然頂上なんかではなくて、上を見上げれば常に「雲の上」が見える、まるでドラゴンボールのカリン塔みたいなものだけど、高みからの眺めはなんともいえない充実感があって、それまでの苦労など忘れてしまう。もっと上からはどんな景色が見えるだろう、ここまで登ってこれたならもう少し、あの雲の先までなら行けるかもしれない。不安や恐怖がないわけではないけど、それよりも未知への好奇心と自分がどこまでやれるか試したいという気持ちが勝り、また登り始める。

世界の広さを認識するにつれ、自分の無能さ無力さや存在の小ささを思い知った。自分の限界はまだ見えていないはずと楽観的に構えたとしても、そのまだ見ぬ限界まで能力を広げても到底敵わない領域がそこかしこにあり、そういう領域にすでに到達している人が数多くいることを知れてしまうのは、ある意味残酷だと思う。要は世界統一ランキングの話だ。

ARTIFACT ―人工事実― | ネットによっていきなり世界統一ランキングに放り込まれると努力するモチベーションを持ちにくくなる

それでもおれは、地方ランキングの上位ランカーとしてちっぽけな優越感に浸って世界から目を逸らし続けるよりも、世界ランキング何千万位とか何億位とかに過ぎない自分の現在位置を直視して、死ぬまで自分の名がクレジットされることのない本当の雲の上を見上げて劣等感に打ちひしがれ続けるほうを選ぶ。そのほうがよっぽどマシな人生だ。

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画像は黒田硫黄「茄子」一巻 その 5 アンダルシアの夏(前編)より

余談。ARTIFACT ―人工事実― | ネットによっていきなり世界統一ランキングに放り込まれると努力するモチベーションを持ちにくくなるからリンクされてるモヒカン族 - 「モヒカン族」に関する言及 - 「モヒカン族」に関する言及を読み直したらおれのはてダが言及されててびっくりした。十五年以上経っても考えることはあまり変わっていないようだ。関心のあるトピックは変わらないのにまるで違う結論に至っているのが面白い。昔は地方ランカー上等と言っていたのに今はそんなのクソくらえと言っている!