@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール

従兄弟に「ぜひ読んでみて」とまで言われたので、そこまでいうならと読んでみた。本屋やオンラインストアで何度か見かけて気にはなっていたし。

ものすごく理屈っぽい効率厨の人が書いた本、という印象。同意できる部分もあったし学びもあったが、根本的な部分で相容れないなと感じた。

著者の思想の根底には、「人生は最大限有意義に過ごすべきである」という信念がある。有意義で幸福な人生のほうが良いという点には同意する。しかし「最大限」がひっかかる。

最大限の有意義さを追求することは、有意義さを損なうことを良しとしない窮屈さを生む。使いきれない財産を抱え込むのも、使いきれない金を稼ぐための労働も無駄で不必要なのは確かだが、それが単なる無駄にとどまらず、積極的に非難・排除されるべき過失であると言われているようで、読んでいて気分が悪かった。

おれはむしろ「人生はほどほどで良いし無駄や無意味なことがあっても良い」みたいな思想に共感するので、著者が主張を力説すればするほど白けてしまった。

この本を薦めてきた従兄弟は小さい頃から「俺様一番」というタイプで、自分が生きたいように生きるを体現し続けている。読む前から、確かにあいつが好きそうな内容なのだろうなとは思った。

この本を読んで知れたことが二つあった。一つは「長寿保険」という保険商品で、長生きしすぎて老後資金が枯渇する不安に対処できる*1。もう一つは、飛行機の国内線のファーストクラスは思っていたよりも安いということ。国際線では百万円を優に超えるのでそういう相場だと思っていたが、国内線だと四万円弱のエコノミークラスに対して一万円台の追加料金しかかからないようだ*2

*1:奥さんに話したら、「それは一般に年金保険と呼ばれるものに近く、あなたも加入済み」と言われ、またしてもおれがものを知らないだけとわかった

*2:これも奥さんに話したところ、「でも例えば東京大阪間のフライトだと、シートベルトを外せる時間は三十分くらいしかなくて、せっかくのファーストクラスを満喫する暇もないみたいよ。あと、国内線だったらビジネスクラスのほうが一般的なんじゃない?」と

今年の RubyKaigi には参加しない。前回のクロージングで次の開催地が沖縄と知ったときから、次は行かないと思っていた。

沖縄という土地に魅力を感じない。二十代の頃に社員旅行で一度行ったことがあるはずだが、それでもう十分だった。暑くて潮風で身体がベタベタする不快感を覚えている。どうせ南国へ行くなら海外へ行きたい。フィリピンとか。

顔と名前を見知ってはいるけど自由時間に行動を共にするほどの仲ではない大勢の人たちと数日を過ごす場所としては、那覇は狭すぎる。一人でぶらつく気にもならない。

もうずっと前、パンデミックでオンライン開催になるずっと前から、Ruby コミュニティの関心と自分の関心が乖離し続けていることは感じていた。自分はもはや型が重要になるようなソフトウェア開発のために Ruby を使っていない。Better shell script、better Perl one-liner として使うにとどまっている。そういう用途において、Ruby の実行速度や機能はすでに十分で、新機能の話を聞いてもピンとこない。

便利だし一番慣れているからまだ日常的に第一の選択肢として使っているけど、どこでもインストールなしに使えることや多くの人が読み書きできることなどのポータビリティを考慮すると、Python を Ruby と同じくらい流暢に書けるようになったほうが良いのかもしれない、とは折に触れて思う。また似たようなスクリプト言語を覚えても退屈だしスキルの幅も広がらないが。

Bizmates Program: Level 4 Rank D Lesson 16: Equal Opportunity

初めての女性トレーナーと。この人は最初から「私との初めてのレッスンへようこそ!」と言っていた。今日はどんな日?からの、在宅勤務の仕事であることなどを話し、「stuck in a rut と感じることはある?」と画像検索の結果も見せてもらいながら聞かれ、そこまでじゃないけど、毎日の仕事がルーチン作業だなと感じることはあるね、などなど。チャットに短くだが色々直しを書くタイプで、a few = some, few = not a lot of という説明をされたが、しかし驚いたのは a few = many だと言っていたこと。本当か?しかし「私が高校で学んだのはこうだ、ググってご覧なさい」と言っていたなあ。

スモールトークで十五分以上使ったが words & phrases には進み、「on edge に感じるのはどういう時?」仕事の面接を受ける前とか、実際にはないけど怒ってるお客さんとビデオ会議する前とか?to spell trouble がらみで「パンデミックは多くの人に問題を引き起こしたと思う?」ええ、大勢が影響を受けましたね。でも僕は比較的影響を受けなかったほうかも。元々内向的でインドア派だったので、外出できない時期も家にずっといてもあまりストレスを感じなかった。「私の息子と同じね、彼も内向的なの」あとは「あなたの仕事はあなたに実によく合っている suitable と言えるわね、conducive だわ」とも。

ここまででレッスン終了。「あなたは good communicator だわ、多くのビズメイツトレーナーがあなたとの会話を savor することでしょう」と褒められた。印象は・・うーん、若干だが、教え方が厳しい「先生」っぽさを感じたなあ。会話はちゃんとキャッチボールにはなっていたとは思うが。

'A few' means 'some', whereas 'few' means 'not a lot of

embrace- to put to one's heart

to be stuck in a rut- too fixed in one particular type of job, activity, method, etc., and needing to change

I have a few friends in the countryside. == MANY friends

I can read between THE lines.

Australian- [ aw-STREYL-yuhn ]

to figure out

to get their thoughts across

I'm that kind of person who IS not directly affected by it.

conducive- favorable

savor- enjoy

Bizmates Program: Level 4 Rank D Lesson 16: Equal Opportunity

ミスいとうあさこと。「今日はどんな日ですか?」至って普通ですねえ。「週末は?」えーと、not eventful だったけども・・部屋がすごく汚れてることに気づいて(畳にカビ)、奥さんと掃除しましたね。あと、そうだ土曜は奥さんが友達と会う用事があって、僕はその分自由時間がたくさんあったので、本を二冊も読めました!一冊は途中だったけど。「私はまだ紙の本が好きだけど、あなたは?」一冊は紙の本で、「なぜ仕事してると本が読めないのか」というテーマに興味を持って、そういうテーマだから紙の本がいいかなと思ったんですよね。で、数年ぶりに紙の本を読んだ気がするけど、読みながら読書ってこういうものだったなと感覚を思い出してきて、そのおかげで二冊目は電子書籍だったけど週末の間に読み切れちゃいました。読むのとても遅いのに。「次は英語の本を読んでみましょう!」え、ええ、そうですね・・と十分くらい雑談した。

Lesson 16 の冒頭から。warm up question に長々と答えたので、それだけで終わり。「performance evaluation についてどう感じる?」えーと、従業員としては、恐怖は感じないけど面倒くさいですね。会社も上司も優しいので厳しい評価を恐れることはないけど、自己評価や同僚へのフィードバックを書くのが大変。でも、以前マネージャーとして働いてたときは、とてもストレスフルなイベントでした。自分が評価する側で、評価に基づいて部下の昇進や昇給を決めなきゃいけなかったし、昇進しない人への説明なども、オブラートに包んで言わなきゃいけなかったし。「あなたの上司のフィードバックはどういう感じ?」とってもソフトです。オーストラリア人なので、あまりダイレクトなことを言わない。ビズメイツの Level 4 Rank A のレッスンが国ごとの文化の違いだったけど、それらと書籍「異文化理解力」などのお陰で、ポジティブでソフトなフィードバックの中にある重要なネガティブフィードバックの部分を聞き逃さないようにしないといけないと気づきました。

ここまででレッスン終了、次は words & phrases から。レッスン開始時は音声の遅延がやや目立つので不安だったが、最後の方はかなり同期していた。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

少し前にSNSで話題になっていた本。最近読書ができていなかったので、身近なテーマだと思って読んでみた。数ヶ月ぶりに読了できた本。

人々は本を読む余暇・余裕もなくなるほど全身全霊で仕事しており、そういう態度を称賛する文化や社会の仕組みがそうさせているが、そういう生き方は燃え尽きのもとであり健全とはいえないので、仕事でも趣味でも読書でもなんでも「半身」でやりませんか、というのが本書の結論。

それに至るまでに、そもそも近現代の日本において読書はどういう位置付けだったのかをたどるのに七割がたのページを割いていて、それ自体は面白い研究として読めたが、結論との結びつきが弱く、結論への持っていき方が強引で、唐突なまとめ方だと感じた。「読書の歴史」パート全部無くても良かったのでは。それだとページ数が足りず書籍にできないとは思うが。

全身で仕事に打ち込む風潮、それを助長する社会の仕組みをどのように変えていくかの具体的なアイデアはないけど「まずはあなたから、私たちから働き方、生き方を変えていきましょう」という提言で終わっているのは、確かに一人一人が自ら変わっていくことが大事だなと一定の納得感はある一方で、現代の資本主義・新自由主義(自己責任と自己実現)が変わらないまま自分だけが仕事を「半身」でし始めれば、単に競争から降りて負けるだけであり、いわゆる「勝ち組」でなければできないじゃん、と白けた感想も同時に持った。

自分が新自由主義的な思想に相当染まっている・それを内面化していることに気づいたのが一番の収穫だったかもしれない。二十代の半ばくらいからごく自然に「自己責任、会社は守ってくれない、自分の人生は自分で切り開く」という価値観を持っていて、クローン病になったことで人生観が大きく変わったことがきっかけだと思っていたが、実は単に世の中の価値観の変遷に知らずと巻き込まれていただけなのかもしれない。

平易な文体でさらっと読みやすいが、同じ内容を何度も繰り返し書いたりして冗長だった。論説調の本ではなくて、エッセイとかならちょうどよさそう。あとがきは文体と内容がよく合っていると感じた。