kokogiko さんの味方はできないけど、同情するなあ・・・。 write some code と書き捨てられることの恐怖が僕にはわかります。
ギークと呼ばれる人たちが苦労なくコードを書いているわけはなくて、おそらく自分よりはるかに努力しているからこそ成果物を出しつづけられるのでしょう。片や、彼らと比較にもならない自分自身がある。その差に絶望し激しい焦燥にかられれば、悪意のない一言二言に勝手に傷ついてしまうことだってあります。
根っこのところは単なるひがみ、ねたみとか、あるいは憧れ、尊敬の入り交じった複雑な感情なのだと思います。ただ、それを素直な形で表現できるときもあれば、そうではないときもある。
こんな気持ちにぴったりの描写が、湾岸ミッドナイトの 39 巻にありました。
「・・ああ ちょっとヤバイな この気持ち・・ 今は素直に彼らをイイと思っている・・ でも・・ この気持ちは必ず変わるんだ 羨望は嫉妬に変わりそして嫌悪になる オレはある そーゆうの 嫌うコトでなかったことにしてしまう 本当は一番に望む場所なのに 拒否するコトでその気持ちを相殺するんだ」
湾岸ミッドナイトの原作を通して読んだことはまだなくて、ところどころつまみ読みしたりゲームをやったりして断片的にしかストーリーを知らないのですが、登場人物はだいたい誰もが馴れ合わないでいずれそれぞれの道を歩いています。この台詞をいったキャラクターが今後どうなるのかはまだわかりませんが、とても共感できる複雑な感情を秘めた彼がどういう決断を下すのかにはとても興味があります。あれ、漫画の話になってしまった。
僕はどうやら人より劣等感を強く感じてしまうたちのようで、過去に様々なことで自分と他人を比べては落ち込んだり自暴自棄になったりしてきました。いろいろ試したけれどどうしても劣等感そのものを払拭することはできなかったので、最近は「ひとつのものさしですべてをはからない」ということを意識して生きています。
例えば、自分はプログラマとして一流ではない、という劣等感を感じて落ち込んでしまったら、それとまったく違った分野のものさしで自分をはかりなおしてみる。そうそううまい具合に自分に有利な尺度なんて見つかりはしないのですが、二点間を結ぶ直線のどの位置にいるかで人生のすべてが決まってしまうと考えているよりは、平面上のどの位置にいるかを考えられるほうが豊かな視点だと思うのです。そうやっていろんなものさしではかってみると、いずれも平凡な位置にしか自分はいないけれど、少なくとも「価値には様々な種類がある」ということはわかる。それを単なる慰みとしか思わないか、豊かな考え方ととらえるかは、まあ結局自分次第で、気持ちがふさぎこんでいるときは何だって落ち込むことに変わりはないのですが、視野が狭いよりは広いほうが良いと思うのです。
そしてそういう広い視点を備えるためには、いろいろなことに興味を持ち、知るよりないのでしょう。なので最近は今まで読んだことのないタイプの本や雑誌を読んだりしています。最近だと文藝春秋を買って列車での旅路の合間に読みました。サブプライム問題についての記事はためになりました。でも、住宅ローンを証券化する、というマジックのからくりがどうも腑に落ちない。株をやる気はないのですが、やっぱり金融の基礎知識くらいないとこんなことでもさっぱりわからないものですね。あとはイスラエルの元スパイが書いた自伝みたいな本も読んで、これは著者の経歴自体疑わしくて胡散臭いのですが中身がぜんぜん大したことは書いてなくて肩の力を抜いて読めています。まぁ元秘密情報部員、それもナチスの残党を震え上がらせたモサドの OB が大したことを書いてしまったらただごとではないので、くだらないくらいでちょうどいいのかもしれません。
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