@kyanny's blog

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雑談

開発プロセスを整備していくことは、究極的には「製造」の安定化を目指していくことである。思想的に

変化や不確定な未来に対して柔軟に対応するためには、まず開発者自身が変化や未来に適応できる柔軟さを、精神的にも実際の動き方としても備えていなければならないはず

しかし安定した製造による精度の高い計画が変化や未来に脅かされないように、不確定要素を吸収することを、仕組みで解決しようとすると、開発プロセスを厳密化していきましょうということになり、どんどん重厚で複雑な手続きとなっていく

プロセスが過度に洗練されることで、人間が都度状況判断していく必要が減り、また推奨もされなくなるので、やらなくなり、できなくなり、応用力の衰えを補うためにさらにプロセスの洗練で解決しようとする、という悪循環がうまれる(かつてこれと似たような事象に「お願いします脳の恐怖」と名付けた)

自分たちが仕事をしやすくするために始めたプロセス改善だったはずなのに、やればやるほど自分たちの能力を衰えさせ、自分たちの自由度を縛っていき、創造的な仕事をする人間ではなく工業的な生産製造に徹する歯車のように仕向けていく

そういう矛盾を感じるんですよねーっていう雑談をした。おれなら計画通りに生産する楽で退屈な仕事なんかよりは、混沌としていて無茶なくらい大変な仕事のほうがやりたい。どうみたってそっちのほうが楽しいに決まっている。

変数が5個とか10個とかあって、どうやったって一意な最適解なんて求まりそうになく、

ステークホルダーが5人とか10人とかいて、どうやったって満場一致な合意形成なんてできそうになく、

そういう複雑な問題を前にして、それでもなんとかマシな解を求め、どうにか調整して合意をとりつけ、

心をすり減らしながら、解決まであと少し、というところまできたのに、

根回しに明け暮れるのは、疲れた…

上も下も、右も左も、間に入って利害調整ばかりしていて、不毛

たった一人の人間を説得するのだってたいへんなことなのに、何人も連続で一度もミスせず説得に成功し続けないと死ぬなんて無理ゲー

ほんとにこんなことやる意味あるんだろうか。コストに見合ってるんだろうか。自分に期待されてるのはほんとにこんなことなのか。そうだとして、その期待に応えることは、どこまで是

決めるということ

情報が足りなくても、間違っているかもしれなくても、与えられた条件下で最善を尽くすために意志を持って決めることを「決める」というのだ。もっと情報が必要だとか、これが本当に適切なのかとか、所与の条件が前提として正しいのかとか、それらの懸念点が解決されればもっとうまく決められるのではないかなんていうのはただの先送りに過ぎない。それは「決めよう」という姿勢ではない。そういう姿勢では、何も決められはしない。

小腸 MRI 検査を受けた

小腸 MRI は初めて。 MRI そのものは二回目。一回目は鼻の検査だった。

文句を言いつつもニフレックは指示どおりぴったり40分で1リットルを飲んだ。15年前にニフレックを初めて飲んだときは冷えてなかったせいもあったかもしれないけどそれはそれはまずくて吐き気がしたが、ずいぶんすっきりした味になって飲みやすくなった。

造影剤と腸の動きを抑える薬を注射で入れた。少し動悸がしたくらいで、予想された反応の範囲内。検査は30分くらいで終わった。音がうるさいので耳栓用のヘッドホンみたいなのを装着された。音声の指示に従って息を吸って吐いて止めて、を何度も繰り返した。それ以外はじっと寝てるだけなので途中で本当に眠りそうになった。

来週は小腸内視鏡の検査。これも初めて。小腸 MRI は午前中で終わったけど、小腸内視鏡は朝から準備して検査自体も数時間かかるらしく、痛い検査だから麻酔も多く使い検査後は一人で帰宅できないくらいになるらしい。家族に迎えに来てもらう。一人で帰ろうとして電車に乗ったら終電まで行っちゃうよと言われた。麻酔が抜けきらず眠ってしまうということだろう。