@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

歯車と石ころ

歯車は機関に組み込まれて他の歯車と噛み合うように設計されている。新品の歯車は噛み合わせが悪いこともあるが、じきにバリがとれて馴染む。一定の割合で不良品が混じっていて壊れるが、交換可能なので機関の運転に支障はない。

石ころはどれも規格外で、でこぼこしている。歯車の間に差し込むと歯車が折れたりシャフトが歪んだりと故障の元になる。辛抱すれば時間とともにカドがとれて丸くなることもあるが、機関を壊さないかわりに他の歯車とがっちり噛み合うこともない。

ときどき大きな岩がある。ゴツゴツしていて見るからに険しく、たいていは機関に組み込もうと思わない。重くてとても持ち上げられないけど、自然のちからで長い年月をかけて遠くへ運ばれることもある。

iOS 13.5.1 リマインダー 繰り返しのリマインダーを完了すると消えて復活しない

iOS のリマインダーに「繰り返し」で繰り返しの終了「しない」設定のリマインダーを登録すると、完了後に「次の繰り返し日時」を期限とする新しいリマインダーが自動的に追加される挙動だった。

時期的に iOS 13.5.1 にアップデートしてからだと思うが、完了後に新しいリマインダーが追加されず、リストから消えっぱなしになってしまうようになった。

以下の例だと、毎日 21:00 に「夜の薬」というリマインダーを登録していたのだが、リストから消えてしまっている。

f:id:a666666:20200701023927p:plain

この挙動を重宝して日々のルーチン作業をリマインドしていたので、挙動が変わって困っている。 Twitter で検索したら類似の不具合を訴える声が少し見つかったが、今回のバージョンアップ起因なのかははっきりしない。

Quipper に入社して7年が経った

今日付で退職する。入社日は2013年5月28日だった。「入社して○年」も書き納めだ。去年は書けずじまいだったので、この2年を振り返りつつ、7年を総括する。

これまでの「入社して○年」エントリまとめ

失われた2年

一言でいうと「失われた2年」だった。2018年4月から VP of Engineering になり、ほとんど全ての時間をエンジニア組織のマネジメントに費やした。ソフトウェア開発者として技術を磨き経験を積むという当たり前のことができず、大きなブランクが空いた。ストレスに苛まれ、身体を壊して二度も入院した(一回目二回目)。自分にはマネジメントの仕事は向いていないと改めて痛感した。不得意なことで勝負すべきではない。

機会が与えられたのは、ありがたいことだったと思う。これまでの社会人人生で最も出世したし、年収も高くなった。ソフトウェア開発者としてではなかったが、貴重な経験を積むことができた。それもこれも、 Quipper でなければ実現しなかった。抜擢してくれた上司、支えてくれた同僚には感謝している。

思い出

最後の2年は辛かったが、7年間で多くのことを経験した。思い出深い事柄について、思いつくままに書く。

EXIT を経験できたこと。スタートアップ企業に入社するからには EXIT を夢見るものだ。いい夢を見させてもらった。

会社が成長する過程を見届けられたこと。「来年には潰れてるかもよ」と冗談半分に釘を刺されて入った会社が日本を代表する大企業に買収されて組織が十倍以上大きくなるまで過ごした。こんな経験はなかなかできないと思う。

PMI (Post Merger Integration) を経験できたこと。自分は買収された側だったが、買収後の統合プロセスを現場で体験した。名ばかりの「統合プロセス」ではなく、ある程度時間が経たなければ見えてこないような問題に直面し、 M&A の大変さが身に染みてわかった。現場のいち従業員として、また管理職としても、親会社の企画・営業・人事ほか様々な立場の人たちと腹を割って話をし、自ら汗をかいて数年がかりで問題解決に取り組んだ経験は今後の糧になると思う。

リクルートに買収されたこと。リクルートグループの会社は自分では決して選ばなかっただろうから、成り行きで「中の人」になったのは結果的に良い経験になった。末端に過ぎなかったけど、巨大な企業グループがどういうものかを垣間見ることができた。

創業者の近くで働けたこと。渡辺さんとは一緒に仕事をしたという感じではなかったけど、いつもフレンドリーに接してくれて、素晴らしいビジョンを持っていて、この人の元でビジョンの実現のために働けた30代は楽しかった。中野さんからは多大な影響を受けた。仕事に対するスタンスなど、今の自分の価値観の少なくない部分は中野さんの影響を受けて形作られていると思う。機会があればまた一緒に働きたい人の筆頭だ。仕事での繋がりがなくなっても友人としての関係を続けたい。

個性的で有能な人たちと一緒に働けたこと。ウェアラブルカメラをずっと首から下げてる Ruby エンジニア、抜群に頭が切れるプロダクトマネージャー、頼みごとをすると一分以内に済ませてくれるオフィスマネージャーなど、面白くて素敵な人たちと過ごした日々は懐かしくも良い思い出になった。

仕事で英語を使えたこと。 Quipper に入社する動機の一つだったので、思惑通りにいって良かった。あまり上達はしなかったけど、羞恥心を払拭できただけでも満足している。

海外出張に行けたこと。ロンドン、マニラ二回目、三回目)、ジャカルタ、メキシコシティ。インドネシアとメキシコは日程が短くてあまりゆっくり過ごせなかったけど、現地で見た光景は今も思い出せる。いつかまた、今度は家族を連れて行けたら良いなと思う。

他にも色々あったけど、キリがないのでこの辺で。

退職理由

いろいろある。詳細に書きすぎると差し支えるので簡単に。

名実ともにリクルートの子会社化していったこと。大企業病に侵されないように奮闘したつもりだったが、大きな流れには抗えなかった。必死で守ってきたはずの「文化」も変わってしまい、何のために・誰のために戦っているのかわからなくなった。

海外拠点・事業との関わりが薄くなったこと。リポジトリ分離の推進によって自ら引導を渡す形になったのは残念でもあり、皮肉でもあったが、自分の手で決着をつけられて良かったとも思う。

会社の方針と合わなくなったこと。事業戦略しかり、組織のあり方しかり。過去のしがらみを引きずっていておかしいと感じることが増えた。そういう物を変えるには相当のエネルギーが必要で、自分には無理だと思った。

上司が変わったこと。中野さんに対しては上司と部下という感覚はとっくになくなっていたが、だからこそ「この人になら仕えても良い」と思えたし、辛い仕事でも踏ん張れた。他の(リクルートの)人に同じように仕えることはできない、と思った。

頼りになる同僚の退職が相次いだこと。スタートアップ時代を共に過ごした戦友や、成長を見守ってきた後輩など、「この人を残して辞められない」という人たちが一人二人と去り、辞めない理由が一つ二つと減っていった。

自分の仕事に矛盾を感じたこと。管理職たる自分の役割は、ソフトウェア開発組織が成果を発揮できるような環境づくり全般だった。自分が職務をまっとうしようと努力すればするほど、部下や同僚はソフトウェア開発者として価値を増していき、自分はソフトウェア開発者として価値を減らしていく。マクロな視点で「敵に塩を送る」行為に真摯に取り組むことは大きなストレスで、心が引き裂かれる思いだった。

今後

明日から新しい会社で働く。転職活動中お世話になった方々、お声がけいただいた方々には感謝している。期待に答えられず不義理を働くことになってしまった件もあり、申し訳なく思う。

新しい職場ではソフトウェアエンジニアとして、バックエンドシステムの開発・運用に従事する。平社員で、マネジメントの仕事は無い。年収は下がったが、ストレスで心身を壊す仕事をするより、長く続けられる仕事の方が良いと判断した。奇しくも数年前の中野さんと似たような経緯、同じような心境から、もう一度「技術」に集中するためにこの進路を選んだ。エンジニア組織マネジメントの仕事をやらないか、というお話も複数いただいたが、全てお断りした。

次の仕事の話は、またいずれ。

f:id:a666666:20140424114738j:plain

写真は https://hitoba-office.com/works/200.html より拝借。一番良かった笹塚オフィス。

OLYMPUS

オリンパス、赤字のカメラ事業売却へ-産業パートナーズと合意 - Bloomberg

今後のオリンパス映像製品の販売・サポートサービスについて:2020:ニュース:オリンパス

オリンパスが映像事業を投資ファンドに事業譲渡する。今後のサポート継続やブランドの維持なども報じられているが、事実上の撤退ということで、世間の反応は「試合終了」という感じだ。

OM-D E-M1 Mark II ユーザーとしては残念だし、マイクロフォーサーズの将来も気になる。フルサイズに舵を切ったパナソニックが今後もマイクロフォーサーズ規格のカメラやレンズを開発・販売し続けるだろうか。プロ・ハイアマチュア向けのフルサイズとカジュアル路線のマイクロフォーサーズという棲み分けはありそうだが。オリンパスのレンズをパナソニックのボディで使うのも気分的に微妙だ。

事業譲渡先はVAIOブランドを再生させた手腕があるとのことだが、デジタル一眼なんてもはやごく一部の趣味人しか買わない商品で、V字回復できる余地などあるんだろうか。小型軽量で値段も安いのがマイクロフォーサーズシステムの利点だが、ブランドプレミアで高額になってもファンはついてくると踏むのか。レンズ資産があるのでついていかざるを得ないというシナリオもありえるが。

こうなると将来性の無いオリンパス機の価値は下がる一方になりそうだが、乗り換えを検討すべきか。むしろ長く持っていたほうが、部品取り用途なり懐古趣味なりで価値があがるだろうか。なんにせよ、乗り換えるとしたらどのメーカーか、考えておいて損はない。

といっても選択肢は多くない。FUJIFILMのフィルムシミュレーションには憧れるが、ボディ内手ぶれ補正搭載機は限られる。フルサイズは高いし重いしオーバースペックだ。となるとSONYのα6000シリーズくらいしか残らない。ボディのフォルムは好きになれないがα6400以降は猫瞳AFがあるしα6500以降はボディ内手ぶれ補正も搭載しているようだ。SONYの軍門に降ることになるが、OM-D E-M1 Mark IIを買うときだってα6000シリーズとどちらを買うか紙一重だったので、そういうさだめといえなくもない。α6000シリーズなら最新機種でもボディ価格15万弱。フルサイズになると20万を超えてくるし、レンズ価格も高くなる。E-M1 Mark IIはプロスペックの最上位機種であることも密かに嬉しかった。そういうのはもう味わえなくなるが仕方ない。

妄想するのは寂しくも楽しくもあるが、OM-D E-M1 Mark IIが動くうちは(レンズを買い足したい欲求を我慢しながら)使い続けるだろうから、数年後の買い替えタイミングまでにせいぜい貯金でもしておこう。