@kyanny's blog

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ギラン・バレー症候群で一ヶ月入院した

ギラン・バレー症候群という病気になり、2018年の10/1から11/3まで入院した。

異変に気づいたのは9/30の早朝だった。両脚に力が入らない。膝がガクガクして、立ってまっすぐ歩くのもおぼつかない。仕事のストレスで頭痛が続いていたので、脳の血管が切れたかと思ってぐぐってみたが、その場合は半身(右手右脚とか)に症状が出るらしく、両手ともに無事だったのでひとまず命に関わることはなかろうと判断してその日は一日寝て過ごした。ちなみにぐぐったときにギラン・バレー症候群の名前も出ていたのだが、まさかそんな変な名前の病気であるとは思わず、気にもとめなかった。なおこの日は世界選手権自転車競技大会ロードレースでアレハンドロ・バルベルデが優勝した日で、布団から這い出てゴールシーンだけ観た。

翌日10/1になると症状がおさまるどころか両腕も力が入らなくなった。肘がガクガクして、まるで自分の身体が操り人形になった感覚だった。さすがにこれは異常だし一過性のものではなさそうなので妻に付き添ってもらって(というかほぼ連れていってもらった)近所の総合病院へ行った。やはり脳の血管をまず疑われてCTを撮ったが異常なし、そこですぐさまギラン・バレー症候群の疑いありということで髄液の検査をした。腰に麻酔をして骨髄から髄液を抜く。針が太いので麻酔も多めに必要で、その麻酔をちょっとずつ入れていく注射針が痛かった。検査結果待ちなどでずいぶん待たされてしんどかったが、ギラン・バレーでほぼ確定とのことで、紹介状を持たされてもっと大きくて専門的な治療ができる病院へ行かされた。

行った先で別の検査もした。筋電図の検査。関節のあたりに電気を通して反射を見る。要は電気ショックなのでけっこう痛い。映画で電気ショックの拷問シーンがあったりするけど、あれはこれの何十倍とか容赦ない強さだろうからものすごく痛いんだろうな、などと考えて気を紛らわすよりなかった。ここでギラン・バレー確定の診断がでて、緊急入院することになった。あとで知ったことだがギラン・バレー症候群はけっこう怖い病気で、30%程度の患者が呼吸器系の神経に麻痺が出て呼吸困難に陥るらしく、致死率も5%ほどあるらしい。20人に一人死ぬ病気。そんな病気なので、初期の進行具合を注視するのが大事らしく、入院後数日間はHCUという特別室で、身体に心電図やら酸素の数字やらのモニターをする機械を繋がれていた。とはいえ不幸中の幸いというか、自分の場合は呼吸困難になることもなく、腕と脚の運動障害止まりで済んだ。いやもう一つけっこうつらい症状があった。眼球を動かす神経が阻害されて、眼球を動かすと痛い。眼球というのは普段けっこう無意識に動かしているもので、ふと何かを見ようとすると目に強い痛みが走る、というのはしんどかった。なお目の運動神経に問題が出るのはギラン・バレーと似たフィッシャー症候群という病気の特徴でもあるらしく、当初はギラン・バレーまたはフィッシャーだろう、という診断だった。

ギラン・バレーの治療には大きく二つ、免疫グロブリン療法と血漿交換という治療法がある。諸事情あって血漿交換のほうを行った。人工透析のようなもので、心臓近くの太い血管にカテーテルを入れて、血液中の成分の一部を血液製剤と入れ替える。カテーテルは首から入れるので、しばらく首から管が生えている状態で生活しづらかった。血漿交換の一回目の終了後に血圧が低下して10秒ほど気絶するアクシデントがあったが、治療はよく効いて、最大七回で一セッションのところを、三回で終了となった。三回目終了時点では症状はまだ残っていたが、一時は両手両足にしびれが広がっていたものがおさまってきていたり、そもそも発症してから四日間くらいがピークで、そこからは自然に回復していくものらしいので(数ヶ月くらい時間がかかったりするらしいが)、回復傾向が出た時点で終わり、という判断だったのだろう。生活のしづらさは他にもいろいろあって、しばらくの間はトイレに行くにも看護師を呼んで車椅子で行かないといけなかったりして不便だった。あと、二週間シャワーを浴びられなくて、特に頭を洗えなくて非常にストレスが溜まった。腕がうまく動かせないときは、物を持つのも大変で、ご飯を食べたり水を飲んだりするのにも苦労した。

治療が始まる前からリハビリもやっていた。といっても立って歩くこともできないので、ちょっと腕とか足を動かす程度。治療が進んで症状がおさまるにつれ、リハビリのメニューは増えていった。運動神経に障害が出る病気なので、運動機能のリハビリはかなりしっかりやらされた。リハビリはものすごく真面目に取り組んだ。毎日のリハビリの時間以外にも、自主トレの宿題ノルマもきっちりこなした。病気の治療がうまくいって治るかどうかは自分ではコントロールできないので、治療の進捗次第で退院日が伸びてしまうのはどうしようもないが、リハビリの進捗次第で退院日が伸びるかどうかはある程度自分でコントロールできる(リハビリが順調でも退院日が短くなることはあんまりなさそうだが、リハビリが不調で退院日が伸びることはありえる)ので、せめて自分がコントロールできる要素については最善を尽くそうと思った。本来ならばその病院では治療が一段落したら入院は終わりで、リハビリが必要な場合はリハビリ専門の病院へ転院するのが普通らしいが、自分の場合は事情があって最後まで同じ病院に入院していた。なお入院中に足の爪の裏に膿が溜まって皮膚科で爪を切って膿を出す治療をしてもらったりもした(爪を縦に切るために麻酔をするのだが、麻酔はちょっと痛いし、ほんとに麻酔がちゃんと効いて爪を切り剥がすとき痛くないのか不安で仕方なかった。麻酔は少し時間はかかったがちゃんと効いた)。

事情というのは持病のクローン病で、ちょうど入院した週にレミケードという薬による治療の予定があったのだが入院してしまって治療が受けられない。クローン病で通ってる病院の医師と連絡をとってもらったり色々調べてもらったところ、レミケードの副作用でギラン・バレーを発症するという事例が報告されていて、レミケードをクローン病の治療に使えなくなってしまった。かわりとなる治療を開始しなくてはならず、そのためギラン・バレーの治療目的の入院(神経内科)は二週間ほどでケリがついていたが、クローン病の治療目的の入院(消化器科)に転科して継続入院、ということになった。なおレミケードは10年くらい使っているのでいまさら副作用というのもちょっと考えづらいが、クローン病の合併症としてギラン・バレーを発症する可能性もあるとかで、結局なにかしら関連はありそうだった。レミケードの治療効果もだいぶ落ちていて、次の手を打たないとという話は医師としていたので、いい機会だったともいえる。

いくつか案があったが、レミケードを逃した状態でクローン病のこれといった積極治療をせずに二週間ほど経っていたこともあり、血便が出るようになってCRPも4くらいまで上がってしまったので、まずはよく効くステロイドで寛解に持っていき、その後ステロイドを減少しつつ免疫抑制剤でコントロールする、という治療方針になった。治療方針を決めるために胃カメラと大腸内視鏡の検査をしたが、どっちもすごく嫌で憂鬱で、検査の前日が頭洗えてないストレスと相まって不機嫌のピークだった。胃カメラは数年ぶり、大腸内視鏡も過去数回やったときは手術で切って繋いだ部分より先にカメラが進めなくて奥まで見えてなかったが今回は全部見えたらしく、まぁやった甲斐はあった。ステロイドの減量には相応の時間がかかり、かなり減量してからでないと退院できないので、入院期間の半分以上はクローン病の治療(ステロイドの減量)になった。なお、その後ほどなくして免疫抑制剤で痛い目にあうのだが、それはまた別の話。

入院してすぐに長引きそうなことがわかったので、仕事は休職した。休職から復帰する際は産業医の面談が必要で、面談日まで少し日もあったし、おそらく体力が戻るのにもある程度の日数を要すると思われたので、退院後二週間ほど自宅療養した。この判断は正解で、いくらリハビリをやっていたといっても所詮は院内なので運動量はたかが知れていて、退院して一週間ほどはすぐ疲れるし筋肉痛もひどかった。自宅療養中はせっかく時間があるので家事をやってみたり、これまでやろうと思っていてできなかったことをいろいろやってみたりして、社会復帰に備えつつ有意義に過ごせた。

入院前から退院後まで通して、妻には大変世話になった。そもそも自分一人では病院へ行くことすらできなかったかもしれない。仕事で忙しいのに毎日時間をぬって片道一時間弱かかる病院まで来てくれて、精神的にも大きな支えになってくれた。

ギラン・バレー症候群とストレスは特に相関がないようだが、直接ではないにせよ仕事のストレスが原因だったのだろうと思っている。そのくらい、9月後半ごろは疲れていた。入院して最初のうちは「こんな目にあうなんて、ストレスフルな仕事なんてもう嫌だ!」と心の中で当たり散らしていたが、心身が健康を取り戻すにつれて心境に変化があった。これもまた別の話として書く。

ギラン・バレー症候群もいわゆる難病に含まれる(治療費の補助は出ない)。クローン病に続いて、また変な名前の難病になってしまった。ギラン・バレーのほうは治る病気だし再発もしないらしいので、その点はよかった。なおギラン・バレー症候群の先行症状として、三週間前くらいに下痢が、一週間前くらいに風邪のような症状が出るらしく、「そういう症状無かったですか?」と聞かれた。確かに両方あったのだが、下痢はクローン病患者にとっては当たり前のことで、「今回はレミケードの効果が切れるのが普段より速いな」としか思わなかったし、風邪っぽい症状(寒気がして寝込んだが一日で治った)も特になんとも思わなかった。というか先行症状を自覚したところでギラン・バレーの発症を予防できるものではないようなので、どうしようもない。

退院の翌日はツール・ド・フランスさいたまクリテリウムの開催日で、なんとしても参加したくて(それなりに高いチケットを買っていた)、退院日がそれより後になる予定だったので外出許可までとっていた。結果的に退院日が早まって、懸念なく参加できてよかった。

入退院などからけっこう日が経ってしまって(あと他にも理由があって)記憶が薄れてきてしまい、細かい部分や感情の機微などを書き漏らしているかもしれないが、事実関係はおおむねこんなところ。