@kyanny's blog

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Quipper に入社して7年が経った

今日付で退職する。入社日は2013年5月28日だった。「入社して○年」も書き納めだ。去年は書けずじまいだったので、この2年を振り返りつつ、7年を総括する。

これまでの「入社して○年」エントリまとめ

失われた2年

一言でいうと「失われた2年」だった。2018年4月から VP of Engineering になり、ほとんど全ての時間をエンジニア組織のマネジメントに費やした。ソフトウェア開発者として技術を磨き経験を積むという当たり前のことができず、大きなブランクが空いた。ストレスに苛まれ、身体を壊して二度も入院した(一回目二回目)。自分にはマネジメントの仕事は向いていないと改めて痛感した。不得意なことで勝負すべきではない。

機会が与えられたのは、ありがたいことだったと思う。これまでの社会人人生で最も出世したし、年収も高くなった。ソフトウェア開発者としてではなかったが、貴重な経験を積むことができた。それもこれも、 Quipper でなければ実現しなかった。抜擢してくれた上司、支えてくれた同僚には感謝している。

思い出

最後の2年は辛かったが、7年間で多くのことを経験した。思い出深い事柄について、思いつくままに書く。

EXIT を経験できたこと。スタートアップ企業に入社するからには EXIT を夢見るものだ。いい夢を見させてもらった。

会社が成長する過程を見届けられたこと。「来年には潰れてるかもよ」と冗談半分に釘を刺されて入った会社が日本を代表する大企業に買収されて組織が十倍以上大きくなるまで過ごした。こんな経験はなかなかできないと思う。

PMI (Post Merger Integration) を経験できたこと。自分は買収された側だったが、買収後の統合プロセスを現場で体験した。名ばかりの「統合プロセス」ではなく、ある程度時間が経たなければ見えてこないような問題に直面し、 M&A の大変さが身に染みてわかった。現場のいち従業員として、また管理職としても、親会社の企画・営業・人事ほか様々な立場の人たちと腹を割って話をし、自ら汗をかいて数年がかりで問題解決に取り組んだ経験は今後の糧になると思う。

リクルートに買収されたこと。リクルートグループの会社は自分では決して選ばなかっただろうから、成り行きで「中の人」になったのは結果的に良い経験になった。末端に過ぎなかったけど、巨大な企業グループがどういうものかを垣間見ることができた。

創業者の近くで働けたこと。渡辺さんとは一緒に仕事をしたという感じではなかったけど、いつもフレンドリーに接してくれて、素晴らしいビジョンを持っていて、この人の元でビジョンの実現のために働けた30代は楽しかった。中野さんからは多大な影響を受けた。仕事に対するスタンスなど、今の自分の価値観の少なくない部分は中野さんの影響を受けて形作られていると思う。機会があればまた一緒に働きたい人の筆頭だ。仕事での繋がりがなくなっても友人としての関係を続けたい。

個性的で有能な人たちと一緒に働けたこと。ウェアラブルカメラをずっと首から下げてる Ruby エンジニア、抜群に頭が切れるプロダクトマネージャー、頼みごとをすると一分以内に済ませてくれるオフィスマネージャーなど、面白くて素敵な人たちと過ごした日々は懐かしくも良い思い出になった。

仕事で英語を使えたこと。 Quipper に入社する動機の一つだったので、思惑通りにいって良かった。あまり上達はしなかったけど、羞恥心を払拭できただけでも満足している。

海外出張に行けたこと。ロンドン、マニラ二回目、三回目)、ジャカルタ、メキシコシティ。インドネシアとメキシコは日程が短くてあまりゆっくり過ごせなかったけど、現地で見た光景は今も思い出せる。いつかまた、今度は家族を連れて行けたら良いなと思う。

他にも色々あったけど、キリがないのでこの辺で。

退職理由

いろいろある。詳細に書きすぎると差し支えるので簡単に。

名実ともにリクルートの子会社化していったこと。大企業病に侵されないように奮闘したつもりだったが、大きな流れには抗えなかった。必死で守ってきたはずの「文化」も変わってしまい、何のために・誰のために戦っているのかわからなくなった。

海外拠点・事業との関わりが薄くなったこと。リポジトリ分離の推進によって自ら引導を渡す形になったのは残念でもあり、皮肉でもあったが、自分の手で決着をつけられて良かったとも思う。

会社の方針と合わなくなったこと。事業戦略しかり、組織のあり方しかり。過去のしがらみを引きずっていておかしいと感じることが増えた。そういう物を変えるには相当のエネルギーが必要で、自分には無理だと思った。

上司が変わったこと。中野さんに対しては上司と部下という感覚はとっくになくなっていたが、だからこそ「この人になら仕えても良い」と思えたし、辛い仕事でも踏ん張れた。他の(リクルートの)人に同じように仕えることはできない、と思った。

頼りになる同僚の退職が相次いだこと。スタートアップ時代を共に過ごした戦友や、成長を見守ってきた後輩など、「この人を残して辞められない」という人たちが一人二人と去り、辞めない理由が一つ二つと減っていった。

自分の仕事に矛盾を感じたこと。管理職たる自分の役割は、ソフトウェア開発組織が成果を発揮できるような環境づくり全般だった。自分が職務をまっとうしようと努力すればするほど、部下や同僚はソフトウェア開発者として価値を増していき、自分はソフトウェア開発者として価値を減らしていく。マクロな視点で「敵に塩を送る」行為に真摯に取り組むことは大きなストレスで、心が引き裂かれる思いだった。

今後

明日から新しい会社で働く。転職活動中お世話になった方々、お声がけいただいた方々には感謝している。期待に答えられず不義理を働くことになってしまった件もあり、申し訳なく思う。

新しい職場ではソフトウェアエンジニアとして、バックエンドシステムの開発・運用に従事する。平社員で、マネジメントの仕事は無い。年収は下がったが、ストレスで心身を壊す仕事をするより、長く続けられる仕事の方が良いと判断した。奇しくも数年前の中野さんと似たような経緯、同じような心境から、もう一度「技術」に集中するためにこの進路を選んだ。エンジニア組織マネジメントの仕事をやらないか、というお話も複数いただいたが、全てお断りした。

次の仕事の話は、またいずれ。

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写真は https://hitoba-office.com/works/200.html より拝借。一番良かった笹塚オフィス。