@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

今日は全身倦怠感があり、夕方で仕事を切り上げた。普段は午後から調子が出てきて夕方が一番調子いいくらいだけど今日は違った。だるさが取れず、集中もできなくて、仕事にならなかった。すぐに布団に入り、四時間くらい寝た。

かれこれ一年くらい飲んでる中性脂肪の薬の副作用で倦怠感が出ることがあるらしく、この前薬剤師に「飲み始めて数ヶ月くらいででることがあると言われてる」とリマインドされた。他の副作用は出てないので関係ないと思うけど、続くようなら飲むのをやめて病院へ行かなければ。

身体のだるさで思い出すのは数年前のギラン・バレー症候群で、あれも手足の脱力症状が出る前に全身の強い倦怠感があったと思う。単に疲れてるだけと侮ってはいけない。

体感とは裏腹にガーミンのスマートウォッチは睡眠スコアも body battery も悪くない数字で、いよいよデタラメだということが明らかになった感がある。奥さんに話したら「だから私は『そんなものに振り回されるな』と警鐘を鳴らしたじゃない」と言われた。

最近もずっと仕事に忙殺されていて、平日かろうじてオンライン英会話と週末よりサッカー観戦以外の課外活動に割くエネルギーが残っていないが、先週末は天皇杯予選の予選みたいな試合で観戦しなかったぶんエネルギー残量に余裕があるのか、今週は書き溜めていたものも含めてブログを書く余裕が生まれた。

仕事に直結しない生産性、みたいなことを考える余裕も少し出てきて(すぐなくなるだろうけど)、特定の用途において Evernote を再検討すべきではないかとか、音声入力の習熟に再挑戦してはどうかとか、音声読み上げにも慣れるべきでは、とか、そういうことを考えている。

奥さんが見てたビール飲料の CM でカメラのオートフォーカス音とシャッター音が何度か聞こえるシーンがあって、感化されて久しぶりに X100V のオートフォーカス音を鳴らすように設定を変えた。普段自宅で猫を撮るときは無音のほうがいいと思ってずっと無音にしていた。音が鳴るだけでもちょっと新鮮な感じがして、気分転換になる。シャッター音は三種類どれもイマイチなので無音のまま。

地元の友人の一人、いろいろうまくいってなくて大変そうなやつが、新 NISA を始めたという。少額から積立投資を始めるのは良いことだが、地銀の窓口で薦められて、というのが。手数料高い商品をつかまされたんだろうなあ。一応インデックス投信っぽいのが救い。やいのやいの言って気分を害しても仕方ないので、いいねと肯定しつつ十年単位で長期運用することの強調とネット証券を軽く薦めておいた。

Wikipedia に寄付した

先週ジミーウェールズから寄付のお願いメールが来てたけど忙しくてほっといたらリマインドがきた。いつから何回寄付したとか、自分で確認する方法あるんだろうか。メールで聞けば教えてくれそうだが。前回と同じく 1500 円 + 手数料ぶん 60 円を寄付した。

本当にジミーウェールズが送ってるわけないけど、やはりジミーウェールズの名前で送ってくるかどうかでだいぶ印象が違う。ジミーウェールズが死んでも「天国のジミーウェールズより」という体で寄付のお願いをし続けてほしい。線香あげるような気分で寄付できると思う。供養になりそうだし。

DIE WITH ZERO 人生が豊かになりすぎる究極のルール

従兄弟に「ぜひ読んでみて」とまで言われたので、そこまでいうならと読んでみた。本屋やオンラインストアで何度か見かけて気にはなっていたし。

ものすごく理屈っぽい効率厨の人が書いた本、という印象。同意できる部分もあったし学びもあったが、根本的な部分で相容れないなと感じた。

著者の思想の根底には、「人生は最大限有意義に過ごすべきである」という信念がある。有意義で幸福な人生のほうが良いという点には同意する。しかし「最大限」がひっかかる。

最大限の有意義さを追求することは、有意義さを損なうことを良しとしない窮屈さを生む。使いきれない財産を抱え込むのも、使いきれない金を稼ぐための労働も無駄で不必要なのは確かだが、それが単なる無駄にとどまらず、積極的に非難・排除されるべき過失であると言われているようで、読んでいて気分が悪かった。

おれはむしろ「人生はほどほどで良いし無駄や無意味なことがあっても良い」みたいな思想に共感するので、著者が主張を力説すればするほど白けてしまった。

この本を薦めてきた従兄弟は小さい頃から「俺様一番」というタイプで、自分が生きたいように生きるを体現し続けている。読む前から、確かにあいつが好きそうな内容なのだろうなとは思った。

この本を読んで知れたことが二つあった。一つは「長寿保険」という保険商品で、長生きしすぎて老後資金が枯渇する不安に対処できる*1。もう一つは、飛行機の国内線のファーストクラスは思っていたよりも安いということ。国際線では百万円を優に超えるのでそういう相場だと思っていたが、国内線だと四万円弱のエコノミークラスに対して一万円台の追加料金しかかからないようだ*2

*1:奥さんに話したら、「それは一般に年金保険と呼ばれるものに近く、あなたも加入済み」と言われ、またしてもおれがものを知らないだけとわかった

*2:これも奥さんに話したところ、「でも例えば東京大阪間のフライトだと、シートベルトを外せる時間は三十分くらいしかなくて、せっかくのファーストクラスを満喫する暇もないみたいよ。あと、国内線だったらビジネスクラスのほうが一般的なんじゃない?」と

今年の RubyKaigi には参加しない。前回のクロージングで次の開催地が沖縄と知ったときから、次は行かないと思っていた。

沖縄という土地に魅力を感じない。二十代の頃に社員旅行で一度行ったことがあるはずだが、それでもう十分だった。暑くて潮風で身体がベタベタする不快感を覚えている。どうせ南国へ行くなら海外へ行きたい。フィリピンとか。

顔と名前を見知ってはいるけど自由時間に行動を共にするほどの仲ではない大勢の人たちと数日を過ごす場所としては、那覇は狭すぎる。一人でぶらつく気にもならない。

もうずっと前、パンデミックでオンライン開催になるずっと前から、Ruby コミュニティの関心と自分の関心が乖離し続けていることは感じていた。自分はもはや型が重要になるようなソフトウェア開発のために Ruby を使っていない。Better shell script、better Perl one-liner として使うにとどまっている。そういう用途において、Ruby の実行速度や機能はすでに十分で、新機能の話を聞いてもピンとこない。

便利だし一番慣れているからまだ日常的に第一の選択肢として使っているけど、どこでもインストールなしに使えることや多くの人が読み書きできることなどのポータビリティを考慮すると、Python を Ruby と同じくらい流暢に書けるようになったほうが良いのかもしれない、とは折に触れて思う。また似たようなスクリプト言語を覚えても退屈だしスキルの幅も広がらないが。