@kyanny's blog

印刷は人間に対し市場を作り出し、国民軍を創設する方法も教えたのであった - マーシャル・マクルーハン「グーデンベルグの銀河系」

「『たった一人からも愛されない非モテの悲劇』への違和感」への意見

Firefoxを使っている人なら一度は試したであろう、有名拡張 Tab Browser Extension の作者さんのところで非モテ話を話題に取り上げてもらったようだ。


ところで、「モテ・非モテ」と対置すると「そんなにお前は多数の女に好かれたいのかね」と言われるし、非モテ陣営も「いやそんなことはない、たった一人の人に愛されたいのだ。それすら得られない事を非モテと称しているのだ」と言うけれども。その反論にはなんか違和感を感じるんだよなあ。

たった一人の女性に好かれるためにもその人を含む「女性」というカテゴリ全体に対してウケを狙う、つまり「モテようとする」というのは、おかしな話ではないだろう。そのたった一人の女性にピンポイントでウケる方法なんて、本当に深いところまで理解しないと知ることなんてできないと思う。それができない間柄なのであれば、無難な線から攻めて行かざるを得ないだろう。

強調して引用した部分に関して、こんな指摘があるのでご紹介。未見の方は是非ご覧あれ。


# 「彼女が欲しい」→「女の子にモテたい」に至る過程で読み替えがある。それは自覚すべき。
# 「人生はみんな局地戦。でもオタは標準的な強さを求めようとする」

* 「局地戦=彼女が欲しい」→「標準=女の子にモテたい」。矢印の前と後で問題の質が変わっている。局地戦を打破するためだけにオールラウンドプレイヤになろうとするのはどう考えてもコスト高で非効率的だが、オタは基本的にほとんどの問題をこういうふうに解決しようとする。ボールで勝てる戦にでもガンダムを持ち出す発想。圧勝がだめなら完敗もやむなしとする逆ギレ気味の両極端志向。だが実際にはガンダムを持って来れるような天地人の和合などそうそう訪れないため、当然ほとんどの場合自滅的な敗北。「オタは理想が高い」とも通じている。

この指摘に対して、「ではなぜ局地戦に適合していかない(いけない)のか?」という問題がある。俺はそれについて、「局地戦を勝ち抜く方法を知らないから」だと考える。

この場合の「オタ」は「非モテ」と言い換えても差し支えないと思うので言い換える。非モテは「現実の恋愛」を知らない。非モテが知っているのは、ドラマや漫画の中の恋愛だ。そこにいるのは「オールラウンドプレイヤー」ばかり。非モテはガンダムがコンスコン隊を蹂躙する様子ばかり見ているから、「僕もアムロみたいになるんだ!」というイメージしかできない。

また、ホットドッグプレスのような雑誌には、恋愛やセックスのハウツー記事が掲載される。非モテもそれらは読むのだが、モテのように有意義に活用できない。モテは実体験と照らし合わせて、「この部分は一般論だから俺のケースには当てはまらない。ここはピンポイントで活かせるので取り入れよう」というように情報の取捨選択ができる。非モテは選別眼が養われていないので、ピンポイントに役立つ情報を切りだせない。結果、ハウツー全体で語られている大まかな一般論をなぞるだけになってしまう。

上記二つの理由により、非モテはオールラウンドプレイヤーとして振舞わなければならないというイメージに束縛されてしまい、また局地戦の戦い方も知らないままなので、たった一人に好かれる努力ができずに「女性」全体からモテようとし、モテず、嘆く。