@kyanny's blog

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で、その機能性の高い服とやらは【馬鹿にされない】服なんですか?

論点がズレてます。電車男スタイリング・バイブルからの一連の話は「馬鹿にされないための服装」の話であって、オタクなり非モテなりに服を売る方法の話ではありません。

「オタクにオシャレな服を売る」ための発想
ヲタクに服売りたいなら感性でなく機能を売りなよ。
オタ服風

フィッシャーマンズ・ベストを着たいい年の男が日曜昼の青山通りを歩いていたら笑われると思いませんか?「プッ あいつなんであんなカッコしてんの?こんなところで何釣る気だよw」

こういうのって理不尽だし失礼ですよね。ポケットがいっぱいあって便利だから気に入ってるのに馬鹿にするなんて。でも、アキバ系ファッションっていう言葉はそういう理不尽で失礼な含みを持ったものです。

機能性なら、今着てる服がすでに満たしています。オタクでも非モテでも、必要なものならちゃんとお金を出して買います。必要性がわかれば服だって。決してケチではないのは、趣味になら湯水のごとく金をつぎ込むことからもおわかりでしょう。ただ、機能面は現状で満足なんです。不満があるなら必要な服を買いに行くわけで、買いにいかないのは満足しているからです。

でも、その満足してる服を馬鹿にされて嫌だからなんとかならんだろうか、という話だったわけです、電車男スタイリング・バイブルからはじまった今節の脱オタファッション話というのは。

オタクなり非モテなり、ファッション未開の地の住人にいかにしてファッションを売っていくか、なんて話は、アパレル関係者がすればいいのであって口を挟むこともないんですが、「機能を高めるアプローチは大間違いだ」とは言っておきます。