@kyanny's blog

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ばらばらのジグソーパズル

ふと、ジグソーパズルを効率よく完成させる方法があるものだろうか、と考えた。ジグソーパズルは闇雲にやってもうまくいかない。完成図をイメージしながら、いくつかのピースが作り出す部分部分を類推してやがて全体を形作っていく。だが、個々のピース同士が正しく隣り合うかどうかは、あわせてみなければわからない。総当りですべての組み合わせを試すほど非効率的ではないが、常に最短の一手だけを選び続けて完成させられるものでもない。

人生とは、ばらばらのジグソーパズルのようにも思える。ひとそれぞれ完成図は違っているので、他人の進行状況はあてにならない。どの程度まで出来上がっているかもまちまちで、大まかなブロックが出来ている人は割合楽に先へすすめるが、なかなかまとまりを見つけられずに細かいピースをああでもない、こうでもないとやたらめったらひっつきあわせて右往左往しているひともいる。そして誰もが、自分のパズルが出来上がったときどんな絵柄を見せるのかを知らない。

ジグソーパズルと同じで、人生にも攻略法なんてない。試行錯誤して、一歩一歩進んでいくしかない。

ここで締めに「ばらばらだっていいじゃない にんげんだもの*1」とか書いておくとちょっといい話してやった風に終わってきれいだな、と思ったのだが、悲しいかなギャルゲー脳の恐怖、「ジグソーパズル 攻略」でぐぐると、期待を裏切って結果が出るわ出るわ。攻略法あるのかよ。で、読んでみると、

http://www.tenyo.co.jp/jigsaw/guide/01.html

(略)
もっとも、お花畑は、遠景と近景で花の大きさが違いますから、かなりの手がかりにはなります。私たちで9時間はかかります。(絵柄の難易度を検証するために、いつもデジタル・ストップウォッチを横に置いて測定していますが、押し忘れたり、消し忘れたりする事もしばしばで、なかなか正確には測れません。)

消し忘れはともかく、押し忘れることってあんのか?「よーしパパこれから難易度検証のために 1000 ピースのジグソーパズル組んじゃうぞー」っていう目的でやってるのに押し忘れるってどういうことよ。中断して再開、とかのときについつい忘れてしまうのか。なんにせよ、そういうアバウトさにちょっと笑った。「五時間が九時間でもいいんです。時間を忘れるほど没頭できる趣味を持つこと、それが豊かな人生を送る秘訣なんですよ」という教訓のようでもある。テンヨー社の山田昭氏がきっとそういっているんだろう。 http://www.tenyo.co.jp/jigsaw/guide/right.html ここに写真がある。夫婦で合計 300 万ピースものジグソーパズルを組んできたそうだ。それがどれほどすごいことなのかさっぱりわからない。単位のせいだと思う。「東京ドーム 300 ぱいぶんのピース」とか「300 ギガピース」とかだとおおすげーと思うが、きっとそうやってなんでも自分の物差しではかってしまおうとする姿勢が人生の貧しさの現われなんだろう。

ちなみに、「人生 攻略」でぐぐると、三件目がパチンコ、四件目がオンラインカジノについてのページだった。人生とは切ない*2ものだ、と思った。

追記

http://www.tenyo.co.jp/jigsaw/guide/01.html

一番したに、

高年齢社会を迎えて
ジグソーパズルは私たちの様な高年齢者にとって頭を刺激し、推理力、記憶力の訓練に大変役立っております。体を使わずゆっくり楽しめる遊びですから、 300〜500ピースでしたら、遊び終わったパズルを、おじいちゃん、おばあちゃんに差し上げてください。終わったと思ったジグソーパズルがもう一度よみがえります。

とあって、つい

「ところでジグソーパズルは終わった。あとジグソーパズルは進化してないよね」

と思い浮かんでしまった。進化?進歩?あと、あとのあとに「、」があったかどうかも定かじゃなくて気持ち悪い。「、」が句点か読点かも定かじゃないのは俺の頭が悪いからで軽くへこむ。

*1:余談だが、こういう人を小ばかにした犯行声明文をばらばら殺人事件の現場に残していく猟奇的殺人者、というミステリ小説があったら、ミステリじゃなくてコメディに見えてしまうな、とか思って一人で笑ってしまった

*2:刹那い