shelff 五ヶ月目の一冊。わかりやすい哲学と同じ著者の本。
哲学のエッセンスを振りかけた、とても軽い内容の tips 集。「哲学」な部分との結びつけ方に無理があるものも結構あって、完成度の高い本とはいえない。この著者とはあまり合わない気がする。
p23 若いころは皆ハングリー精神を持っているのですが、年を取るにつれ、また守るべきものが増えるにつれ、人はそれを失っていきます。というのも、ハングリー精神の源は、もっと成功したいという欲望であって、欲望は満たされたり、保守的になると失われていくからです。
本題と全く関係ないのだが、印象に残った一節。
p112 これをプレゼンのテクニックとして生かせばいいのです。先ほどの「これを~と呼びましょう」のような例は、いくらでもプレゼンで使えると思います。「これは~です」というのと比べると、たしかにインパクトが違いますよね。
p162 具体的な話はあくまで一例であって、話の全体を表すものではないという人がいます。だから一般化しないといけないのだと。しかし、そうとは限らないのです。ヘーゲルは「具体的なもの」のことを「総体性」とも呼んでいるのですが、総体性とは全体を表す言葉です。つまり、具体的であるとは、内容を十分にとらえたうえで、全体を表現しているとも考えられるのです。
これは同意しかねる。この部分の少し前に、
ヘーゲルは「具体的なもの」という言葉を、十分に展開され、思想的に把握された状態を指し示す際に使います。他方、その反対は「抽象的なもの」ということになるわけですが、こちらはまだ未展開で、完全に把握されてはおらず、一面的にしかとらえられていない状態を指すわけです。
とも書いてあるが、逆だと思う。全体を把握しているからこそ抽象化できるわけで、具体的な部分の把握こそ一面的な捉え方だろう。ヘーゲルとも合わなそう。
p170 つまり、量が圧倒的に違うことで、強いインパクトを持つということです。ハンバーガーとピザがあったとしましょう。ピザのほうが大きくても、でかいとは思いませんね。当然何のインパクトもありません。これは種類が違うからです。ところが、ピザと同じ大きさのハンバーガーがあったらどうでしょう?これはでかいと思うのではないでしょうか。と同時に、インパクトも相当だと思います。
前に読んだ人が何箇所かに印をつけていたが、付け方がダイナミックで新鮮だった。おれは付箋をつけるスタイルを試し中だけど、線を引く場合もできるだけ真っ直ぐブレたりずれたりしないように引きたいタイプなので、こういう人もいるんだなあと興味深かった。