@kyanny's blog

自分の不名誉になるような考えを最初に大胆に表明することは、自立への第一歩となる - ニーチェ ドイツ哲学者

逃げちゃおぜ、世界の中に

2003年 8月20日
記事ID d30820

第3話 マイクロソフト製「彼女」

「わ、わたし……どうして止まっちゃったんでしょう」
 彼女は困ったようにうつむいた。
「おまえさ」ぼくは言った。「ロボットってことは中にコンピュータとか入ってるんだよな」
「え、ええ、そうですけど?」
「もしかして、そのコンピュータのOSってさあ、マイクロソフト製?」
「はい、そうです」
「そうか……」
 ぼくはため息をついた。

「もしかして、いま『こいつのOS、マイクロソフトでうざすぎ。面倒見切れないよ』とか思って、ため息つきませんでした?」
「――いや、そういうわけでもないんだけど……」
「いいえ、嘘をついても駄目ですわ。呼気圧に毎秒25立方センチメートルの有意な増加を検出しました。知ってる……これはため息。あの洪水の晩と同じです」
「いや、真面目な話、おまえは悪くない」ぼくは断言した。「悪いのはおまえのOSなんだ」
 彼女はあいまいな笑みを浮かべて、小首をかしげた。そのまま動かなくなってしまった。
 *ピー*
「な、なんだ、そのエラー音は」ぼくはうろたえた。
《人格統合モジュールSuperEgoで、自己同一性エラーが発生しました。自己イメージ「のOS『のOS』」は無効な参照です》
 無機的なエラーメッセージ。とび色の目を見開いたまま、彼女の表情筋コントロールが凍りついたように停止している。しょうがないなあ、こいつ、「わたし」と「わたしのOS」を区別しようとして自己参照ポインタが無限ループに陥ったな。何というやわな……
《セッションで保存していない記憶は失われます。人格を続けるには、任意の突起を押してください》
 「人格を続けるには」とはどういうエラーメッセージだ、マイクロソフトのAIめ。そのうえ「任意の突起」だぁ?
 ぼくはちょっと考えてから、彼女の鼻の頭を押してみた。あんのじょう、何の反応もない。やれやれ。どうせそんなことだろうと思ったよ。

あちこち開けたり閉めたり押したり引いたり、さんざん手こずったあげく、ようやく彼女の人格に再起動をかけると、
《性別定義ファイルが壊れています。初期化しますか?》
 またぞろ、わけの分からないエラーが出やがった。
 自己認識に失敗したくらいで、いちいち人格システムファイルが壊れるか?
 とりあえず「無視」を選択して彼女の再起動を続ける。
《体内時計の同期中。GPSの信号を受信しています。しばらくお待ちください……》
「あ、先輩……」彼女はハッとしたように叫んだ。「わたしったら、ログのタイムスタンプに一兆ナノ秒レベルのとんでもない空白が。……もしかして……って、もしかしなくても、また止まっちゃったんですね?」
「まあ、まだ二度目だし」ぼくは慰めるように言った。「それに『わたし』が生きていて良かったよ」
「『わたし』は、『ぼく』のエイリアスです。でもぼく……」
 彼女は困った顔をした。その顔がどんどん曇ってゆく。
「どうかしたか?」
「『ぼく』は……『あなた』ではないですよね?」
「なんか、壊れてるなあ。……あのさあ。おまえ性別のバックアップってとってある?」
「性別ですか?」彼女はにっこりほほえんだ。「はい、復元ポイントがちゃんと」
「良かった……。とりあえず、それリストアしてみ。なんか壊れたとかって、さっき出てたから」
「分かりました。ぼくの性別が壊れちゃったんですね。えーと、どのバックアップからリストアしたらいいんでしょう?」
「最新のでいいんでないの?」
「最新が3つあるんです。ひとつは男、ひとつは女、ひとつは訳が分からないファイルです。どれにしますか?」
「……どれにしますか、と言われても」
「先輩のお好きなので……」彼女はほほえんだ。
「……というか、どうしてバックアップの間にそんな不整合が……」
「ぼくの意識ったら3つもあったんですね。ぜんぜん知らなかったよ」彼女は頭をかいた。
「仕様だろ、きっと」ぼくはつぶやいた。

次回予告

「先輩、わたしって耳コピの達人なんですよ!」
「記憶もデジタルだから劣化しないんだな」
「先輩、RIAAから請求書が……」
「音楽を聴いただけで違法コピーか? むかつくから、ダウンロードしまくれ」
「先輩、変なファイルを開いたらわたしウイルスになってしまいました。わたしを削除してください!」
「よし、この機会にLinuxに入れ替えよう!」
「ドライバーがありませんよぉ」
「おれのドライバーを入れてやる、コピーしな」
 次週「逃げちゃおぜ、世界の中に」、第4話――『ミームのふしぎな冒険: おまえはすでに感染している』
 お楽しみに

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