@kyanny's blog

私は天才ではありません。ただ、人より長く一つの事と付き合っていただけです - アインシュタイン

蚊の妖精学

蚊の妖精学

2003年 9月 4日
記事ID d30904

「蚊に刺されるとかゆい理由」が蚊の唾液のせいであることはよく知られている。

しかし、ここで当然の疑問が起きる。なぜ蚊は相手をかゆがらせないように進化しなかったのか。

蚊の進化は中途半端?

蚊の唾液には血液の凝固を阻止する物質が含まれている。血を吸っているときに血液が空気に触れて固まっては困るからだ。高度に進化をとげた「血液の凝固因子」(傷ができて出血すると、自動的に止血・自己修復アルゴリズムが起動される)をハックするような物質を作れるなら、アレルギー反応が起きにくく(つまり相手をかゆがらせず)血を吸えるように、もうひと進化しても良いのでないか。そうすれば蚊は安心して血を吸えるし、血を吸われるあなたからみても、アレルギー反応が起きないということは、腫れないし、赤くならないし、かゆくならないのだから、お互い良い話にも見える。

実際、蚊のなかにも、刺されるとひどくかゆい種類と、そうでないのがいるのだ。また、動物のなかには、相手をかゆがらせないで血を吸うものもある。これも種類によるのかもしれないが、ヒルはかゆくないらしい。となると、蚊がかゆいのは、絶対に必然的なことでもない、と言わなければならない。

ここで、さらなる疑問がわき起こる。

じつは、すでにハックされているのではないか? かゆくならない蚊は存在するが、かゆくならないゆえに霧箱のなかを透明につきぬけるニュートリノのように、人間に知覚されていないのではないか。ステルス蚊だ。

かゆくない蚊は滅ぶ

この思考実験によって、かえってステルス蚊は栄えられないことが予想される。もし相手に意識されないと、血を吸い放題なので、ごく一時的には大繁殖できるはずだが、そうなってはついには相手を全滅させてしまい、血が吸えなくなって、自分も滅んでしまう。無限に一方的に大繁殖ということは、物理世界では不可能だ。(人間だって100万匹の蚊にたかられまくれば失血死するだろう。あるいは100匹くらいでも、のべ100万匹が交替で24時間血を吸ったら。もしステルス蚊だと、そうなっても人間は刺されていることがなかなか分からない。)

何万年だか何億年だかの蚊の進化の歴史のなかでは、ステルシーな蚊も突然変異などで生まれたかもしれないが、長期的には栄えず、淘汰されてしまうと想像できる。「見える」ことによって、すなわち相手をかゆがらせ、怒らせ、自分を殺そうとさせることによって、エリートだけが生き残れるシステムなのだ。もし、のろのろしていても、のほほんといつまでも血を吸っていられるような世界だったら、その蚊たちは、別の原因で自然の厳しさに耐えられない。のほほんとしているところを、蚊を捕食するほかの虫や生き物にひとのみにされてしまうだろう。万一そうならなくても、相手がかゆがらなければ、結局、吸血対象がだんだん滅んで減少してしまうから、自分も滅んでしまう。

蚊のせいでかゆくなることは、あなたにとっても、蚊自身にとっても、滅びないで済むための良い道なのだ。ヒルのような避けやすいものと違い、どこからともなく空気経由で侵入できる蚊であればこそ、それが「悪い」性質を持っていることは、それ自身のためであり、あなた自身のためでもある。

同様の議論によって「蚊取り線香は、あまりきかない」ことが示される。もし蚊取り線香によって蚊をパーフェクトに撃退できるくらいなら、蚊取り線香は存在していない。

蚊には個性が存在しなければならない

蚊にも、わりとのんびり夢中になって血を吸うやつ、ほんのわずかの「叩き殺してやる」とう殺意を察知して退避する神経質なやつ、そのほかいろいろいる。すでに述べたように、ある確率で必ず叩き殺されることは、蚊自身のためである。もちろん個体の話ではなく「蚊の遺伝子上を何億年にも渡ってつなわたりしている固有ミームが生存し続けるには」ということだが。

蚊に上記のような個性が存在することも、背理法によって説明できる。

もし蚊の遺伝子がすべて単一のアルゴリズムによって蚊を動かすとすると、その蚊全体に対して「有効な対策」が一意に定義されてしまう。例→「蚊というものは、右手をひらひらさせて注意を引いておいて左から叩くと、必ず死ぬ」

このように一意な対策があれば、あなたは容易に迷惑な蚊をやっつけることができる。したがって、蚊は滅ぶ。しかし現実に蚊は滅んでいない。これは矛盾であるから、蚊に対する一意の対策が存在するという仮定はあやまっており、したがって蚊は個性を持たなければならない。

ある蚊は、あなたの攻撃パターンをたくみにかわすが、べつの人の攻撃パターンには弱い。べつの蚊は、あなたの攻撃パターンで簡単に撃墜できるが、べつの人の攻撃パターンには強いかもしれない。このように、いろいろいることで、人間がそれぞれ創意工夫をこらして個性的な攻撃をしかけてきても、一定確率で、どれかの蚊は生き残れる。

このことを人間に適用するとどうなるか。

同じ一つの価値観だけで「良い」人間ばかりを作ろうとすると、人間は滅ぶ。いろいろな価値観があり、あなたからみて「生理的に受け付けない」人が存在することは、人間自身のためである。そうでなければ、あなたも含めてすでに全員滅んでいる。

もし「○○主義」は絶対に良く「○○主義」は絶対に許せない、といった絶対的な考え方がすべての人間の脳を支配するようになると、人類は滅ぶ。

あなたは、この説に納得がいかないかもしれない。「だから、そうなのだ。」

あなたが普通と違う変なヤツ、標準の価値観に照らして無価値なヤツであるとしても、心配はいらない。むしろ、あなたのような存在によって、人類は保たれているとさえ言えるのだから。

戦闘妖精

蚊に刺されるとかゆいわけを蚊中心で説明したが、さらに、人間中心の視点を交えることで、核心をつくことができる。

すなわち、人類と蚊類の進化のなかでは、蚊に刺されてもかゆくならない人間も存在したが、そういう吸血生物などに無頓着な人間は伝染病などにかかる確率が高いので、滅んでしまった。また、蚊が進化して、人間にかゆみを与えないようになろうとするたびに、人間も進化して、蚊の血液凝固因子・拮抗(きっこう)因子を察知できるように反応物質を洗練してきたと。

これはECMとECCMに似ている。人間の血液には、空気にふれると固まる凝固因子がある。しかし蚊はそこをハックしてくる。すなわち、血液を実際には体外に吸い出し、空気に触れさせながら、空気に触れているという情報をうまく隠すか、あるいは、空気に触れると凝固するアルゴリズムそれ自体にハッキングをしかけてくる。情報戦なのだ。だが、人間も負けてはいられない。ハッキングを完全に防ぐことはできないが、ハッキングされたことを事後的に検出するアルゴリズムを持っている。彼女がこちらのレーダーをあざむく欺瞞(ぎまん)電波(血液凝固因子・拮抗因子)をしかけてきても、その欺瞞電波に反応する高水準アレルギー・アラームがある。血の流出それ自体を止められなくとも、フェールセーフ回路が働き、「何か不快なことが起きているぞ」と脳に警告を与え、「血液を何者かがハッキングしている。不快の原因を目視し、撃墜せよ」と運動神経にうながす。すなわち、人間には「血液凝固因子・拮抗因子・拮抗因子」がある(血液を固まらせる回路を妨害しようとする異物を検出して、それをさらにまた妨害しようとする回路)。まさにECM(対電子妨害手段)に対するECCM(対・対電子妨害手段)だ。そしてそれは進化する。幼児が最初に蚊に刺されたときは無反応でも、次回からは鋭敏に反応するようになる……。

蚊がこのアレルギー回路を回避すべくECCCM(ハッキングを事後的に検出する回路へのさらなるハッキング)を使おうとすれば、人間はECCCCM(それをさらに見抜くアルゴリズム)を使い……というふうに、進化の時間における人間と蚊の情報かく乱戦は、続くのだ。情報戦に負けた蚊のグループ・負けた人間のグループは滅びる。結果として、エリートの人間とエリートの蚊だけが残っている――互いに高度のハッキング能力をそなえた。

蚊に刺されてかゆくなるということは、人間のほうが一枚上手で 「ばれないように侵入して血液を盗もうとはさせない!」という情報戦における勝利なのだ。

個々の人間と蚊は、それぞれをつかさどる遺伝子が戦争をするための、使い捨て兵器である。

人間は、高度な情報戦だけに頼らず、化学的・生物学的対応(血液の凝固やアレルギー反応)ではなく、手で蚊をたたきつぶすという物理的レイヤーを使うことによって、最終的な勝利をおさめようとする。だが、蚊の物理レイヤーもあなどれない。人間の脳がそれぞれ空間で速度ベクトル・加速度ベクトルを持っている手・足・蚊などに関する多体問題を――いわば非線形二階微分方程式のマトリックスを毎秒1万回のペースで――超超高速で数値積分しながらリアルタイムで運動を補正しながらくりだす恐るべきてのひらを、彼女もこの問題専用に最適化された静粛性・低視認性・敏捷性・高機動性のボディ、文字通り命がけで進化させてきた危険回避アルゴリズムにより、巧みにかわそうとする。

蚊の動きは画一ではあり得ない。常にある確率で、人間にとって予測がつかない回避行動をとる。しかし、蚊の回避は完全ではあり得ない。常にある確率で、人間によって撃墜される。この緊張感ある絶妙なバランスによって、両方が存続する。

蚊と人間のあいだの「愛」は、戦闘妖精とジャムの間の「愛」なのだ。

結び

このたとえを人間世界に適用するとどうなるか。

あなたのまわりで、あなたにとってガンのようないやーな人が存在することは、あなたにとって、きわめて良いことなのである。そのいやーな人がいやーな感じを与えなくなったら、そいつも、あなたも、おしまいってことだ。

あなたのまわりにいる、いやーなやつ。もし、あなたがそいつを撃退できたなら、それは、あなたの滅びの日だ。

アメリカが自分に対して不安をいだいているのも当然の生物学的本能だろう。物理世界のすべてをうまくコントロールすることによって、自分が滅びつつあることを遺伝子が警告しているからだ。

音楽産業もそうだ。音楽の流通を一元的に管理できた、とにんまりした時点で、彼らの滅びは始まっていた。

だが、逆に考えると、このゲームをおもしろくするため、 RIAAもなくてはならないコマだった。彼らがいなければ、P2Pも進化しなかっただろう。中央共有サーバから、ナプスターのようなカタログサーバへ、グヌーテラのような分散系へ、さらにフリーネットのような「人間が見えない」系へ。

この進化ゲームのためには、常に一定確率で逮捕されたり賠償請求されてひどい目にあうやつがいる、という緊張感が大切だったのだ。