「昔は子供への電話は親が取り次いでいたから、親は子供の友達の名前を全員覚えていた。今は携帯電話で直接連絡をとるのでそういうのがなくなっている」
現代では、情報の取捨選択がしやすくなっているので、自分の見たいものだけを選ぶことができる。自分の見たくないものは避けることができる。そうやって必要なもの、欲しいものだけを、いかに効率良く選ぶかが、情報化社会でうまくやっていくコツだとか言われたりする。
でも避けていたって自分が見たくないものは在り、ただ自分の視界にうつらず、自分が認識できていないだけなので、そんな世界は不完全だ。いや、もともと世界のすべてを認識することなんてできないのだから、大差ないとも言える。しかし、アンバランスさはより際だつ。
どっちがいいのか、考え出すとよくわからなくなる。俺は現代人の中でも、自分が欲しい情報を能動的に選んでいる(同時に自分が欲しくない情報を能動的に避けている)ほうだと思う、 RSS リーダーとか使ってるくらいだし。しかしそれは本当にいいことなのだろうか?確かに、わざわざ手間暇かけて自分が見たくないものを探してきて見るのは馬鹿みたい、だけどことごとく避けて回るというのもなんとなくすっきりしない。
Twitter とかも、興味のある人だけ follow して、そういう人の発言だけを見る、そういう使い方が便利だからそうなっているに決まっているのだけど、なんかこれこのままこういうの続けてて大丈夫かな俺、という気分にさせられる。欲しいものだけ際限なく多く詳しく手に入れられて、欲しくないものは一切シャットアウトできてしまうところに、今更ながら少し疑問を感じてしまった。
「どんなに優秀でも創価学会の人間と働くなんてまっぴら御免だ」という一文を、たまたま購読していたブログで読んで、「まぁそういう人もいるよなぁ。そのくらい毛嫌いされてても不思議じゃない」と、特にその記事に対してどうこう、ということじゃないのだけど、俺は自分が欲しい情報を選んでいたはずなのに、自分としてはあまり読みたくないものを読んでしまって、しかしだからといって今後そういうブログはフィルタリングする、というのはなんか危険な考え方であるような気がしてしまった、ので上記のようなことをもやもやと考えている。
結論はない。