@kyanny's blog

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選ばれる企業になるとは

採用に関わるうえで、選ばれる企業になることが大事であることは言うまでもない。しかし、自分にとっての「選ばれる企業とは」という定義のようなものが、もしかすると他人と違っているかもしれないと思いたった。

選ばれる企業になることとは、多くの人々の多様なニーズを満たし全方位的に魅力的であろうとすることではない。全く逆で、一部の人から「ここがいい、ここでなければダメ」と選ばれ、それ以外の人々からは選ばれないような企業であろうとすることだ。

全方位的に魅力的な「良い企業」は多くの人を雇えるだろう。しかし、採用できる人数には限りがあり、よほど特殊なセグメントでなければ、全員を雇うことなど不可能だ。そしてそのような企業に何らかの魅力を感じて入社した人々は、企業が発信している魅力が全方位的であるが故に、それぞれが感じる「この企業の魅力」がバラバラである可能性が高い。

魅力に感じる点は、その人が仕事を選ぶ上で重要な軸であるはずだ。それは仕事観そのものといっていい。バラバラの仕事観を持つ人々が集団で仕事をするのは、似たような仕事観を持つ人々が集団で仕事をするのに比べて、色々な部分で難しいはずだ。中には全く相容れない仕事観を持つ人同士が一緒に仕事をしなくてはならないこともあるかもしれない。

「それが多様性というものだ」という指摘があるかもしれない。自分もかつてはそう思っていたので、おそらく自分とは魅力を感じる点が違っていそうな人を採用したこともあった。自分や同僚と違う価値観の持ち主をこそ積極的に採用すべきだと。でもそれは間違っていた。ダイバーシティについての間違った理解に基づき、間違った判断をしていた。

多様性を保つとは、なるべく違う価値観の人々を一箇所に集めようということではないと思う。似たような価値観の人々であっても、みんな何かしら違っていて、一様ではない。その違いを認識して受け入れることが多様性があるということなのだと思う。

違いを否定して多数派に合わせるよう仕向けたりしてはいけない、お互いに違うところがあるのが当たり前なんだという考え方が大事なのであって、だからといって仕事観や「どこに魅力を感じてこの企業を選んだのか」のような本質的な部分からまるで違う人々をわざわざ集めなくていい。そんなことをしなくても、人はもともとみんな違うのだから、人が集まれば自然と多様になる。

全方位的に魅力的な企業であろうとすることは、互いに譲れない価値観が合わないような人々の双方にアピールしてしまうことになるので、企業の採用方針として間違っている。譲れない価値観が合う一部の人にだけ熱烈に選ばれる企業であろうとすることによって、価値観が合わない多数の人々を間違って雇ってしまう可能性も減らせる。価値観が合う人同士でも必ず違いがあるから、多様性が失われることもない。