@kyanny's blog

理想主義のない現実主義は無意味である。現実主義のない理想主義は無血液である - ロマン・ロラン フランス思想家

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四十歳になった。まさか。信じられない。

去年法事でけっこう年上の従兄弟に「もうすぐ四十になるけど実感ないよ」と言ったら「俺もそうだった、みんなそんなもんだよ」と言ってた。

不惑とかいうらしいが、とてもじゃないがそんな感じはしない。自分のキャリアについても絶賛、というほど深刻ではないけど惑っている。

 

ここ数年ぐるぐる考えてきたけど結局のところ、「好きなこと・やりたいこと」と「できること・得意なこと」の不一致が悩みの原因だ。

「好きなこと・やりたいこと」は、抽象的に書くと「自分の専門性を磨き、その技能で誰かの問題を解決すること」といえる。書き順はとても大事で、まず専門性・技能を磨き続けることが先、その上でそれが誰かの役に立ち、お金を稼げる職業に就いていたい、ということ。技能を磨くための学習そのものが目的の一部である、というか。社会人になってからほぼソフトウェア開発の仕事しかしてこなかったので、専門性=ソフトウェア開発スキルということになる。

「できること・得意なこと」は、抽象的に書けるほど自己分析ができていないが、いまの職場で比較的緊密に働いたことがある何人かの人たちからは「マネジメントに向いている」と言われる(自分自身では半信半疑なのだが)。あえて格好つけて書くと、複数の情報を紡ぎ合わせて筋道の通ったストーリーを見出すこと、それを自分なりに解釈し想いを乗せて語ること、他者の心の機微に配慮した上で公平な意思決定を優先すること、などは割とうまくできるほうじゃないかなという自覚はある。経験上、10人程度までのグループをリードするような状況で自分のこの強みが最大に発揮されるように思う(ただし肩書がマネージャーでないときのほうがはるかにやりやすかったし、うまくやれていたと思う)。

問題は、マネジメント的な言動は、決して好きでやっているわけではない、という点。そういう仕事だから仕方なく、というほど悲観的でもないが、それが自分の仕事であり役割だから当然やるよね、という感じ。うまくいった手応えがあるときはそれなりに充実感もあるけど、きれいなコードを書けたときや厄介なバグを潰せたときと比べると、ほぼ100%自分の力で問題解決できるぶん、コーディング的な仕事のほうが若干充実感が高いような気もする。マネジメント的な仕事は、たとえどれほど自分の「仕立て(下準備)」が上手かったと思おうが、他者あってのことなので、自分の手柄ではないよね(たまたま関わる人々が自分の思い描いた未来予想図に「乗って」くれたおかげ)、と冷めた思考をしてしまう。他者を(本人にはわからないような形で)コントロールしているような罪悪感もある。

じゃあ好きを貫けば?というほど簡単な話でもなくて、人間得意なことするほうがいいよね、そのほうが貢献できるよね、貢献度高いほうが収入も増えそうだし、とか、年齢と経歴を考えるといまから individual contributor としてやっていけるのか、稼ぎをなるべく減らさないという条件込みで職があるのか、そもそもハイパフォーマンスな individual contributor としてキャリアを積める実力があるならすでにそういうキャリアを歩んでいるはずでは、才能(地頭、アルゴリズム・数学的素養)・体力いずれにも劣る凡人のおっさんが競争苛烈な世界ランキングに挑戦して爆死したら家族は人生はどうなる、など、現実的な生活のことなどを考えると無計画な無茶もできない。

 

もうかれこれ3年くらいは考え続けてきたテーマで、その時々によって針の触れ方が変わったりしてきたけど、未だに結論が出ないということは、もう100%の結論は出ないのかもな、とも思う。あとはもう、ある種の外部要因頼みというか、巡り合わせのタイミングでノリとフィーリングに任せて選ぶ(選ばれる)、って感じなのかもしれない(守るべきところはきっちり守った上で)。