@kyanny's blog

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YAPC::Kyoto 2023 #yapcjapan

YAPC::Kyoto 2023 に参加した。久しぶりの京都、久しぶりのオフラインカンファレンス、久しぶりの発表で大いに充実した 2+1 日間だった。花粉症がひどくて体調がとても悪く、日中も夜もせっかくの交流の機会を満喫しきれなかったのは残念だった。


今回は特に Perl ハッカーたちのキャリアの話が印象深かった。

一つ目は @ar_tama さんの、あの日ハッカーに憧れた自分が、「ハッカーの呪縛」から解き放たれるまで。「ハッカー」を再定義したうえで、技術・事業・組織の三軸を「ありたい自分 = will / いまある自分 = can / 自分への期待 = must」に応じてバランスよく伸ばしていくことの重要さを説いたスピーチで、狭い意味での、あるいは古典的な定義の「ハッカー」になれなかった多くの人々を救う、ベストトーク賞にふさわしい内容だった。

が、おれ自身はというと、まさに救われる一人でありながらも、「バランス型人材にも価値はある」という結論には納得しきれていない。もう何年も、ずっと。様々な強み弱みを持った人々が協力して事を成すのが組織であり、そこでは技術軸に突出した人と同様にバランス型の人も必要だという点に異論はない。むしろバランス型人材のほうが多くの場面で重宝されるだろう。技術・事業・組織の三軸に向き合ってきた結果 CTO にまでなった @ar_tama さんのキャリアがそれを立証している。

しかし、技術軸に突出しきれなかった者、「ハッカー」になることを諦めた者自らがそれを言っていいのか?という点において、おれは自分には言う資格がないと感じる。ハッカーから言われて初めて許されるものじゃないのか*1

おれはまだ「ハッカーの呪縛」から解き放たれていないのだ、おそらく今後もずっと呪われたままで、そうであるべきとすら思っているのだと、しばらく直視していなかった自分の内面と向き合わされた話だった。


二つ目は @nekokak さんのゲストトーク。これはおれにかかったもう一つの呪い、あるいは後悔を克服するヒントをくれたトークだった。

周囲の誰もがマネージャーになりたがらない中で、自ら望んだわけではなく必要に迫られてマネージャーになった彼の経歴と、自身の経歴を比べずにはいられなかった。キャリアアップしていった彼と途中で潰れて脱落したおれの差はなんだったのか。「我を通す」がその答えだった。

ツールを作るとき「自分にとって一番使いやすいものにしよう」と考えるのと同じように、事業や組織の課題に取り組む際も「自分が一番良いと思える形を追求する」、そのために我を通す。おれに足りなかったのは我を通す勇気だった。

実は数年前に、別の人からほとんど同じことを言われたことがある。ノバセル CTO の @jun_ichiro さんだ。NewsPicks の VPoE 時代からエンジニアリング組織のマネジメントに精力的に取り組んで成果を挙げていた彼に、自分はマネジメントの仕事を楽しめなかった、みんなのためにと思って色々やればやるほど自分にとって居心地が悪くなっていって、何のためにやっているのかわからなくなった、とこぼすと彼はこう言った。「僕は自分がやりたいこともできるように、実験的なプロジェクトを立ち上げて手を動かす機会を作っていたよ。刺身さんも『自分がやりたいこと』を自信を持って打ち出していたら、また違ったのかもね」

おれは我を通すのが怖かった。権力をかさに好き勝手やっていると非難され、嫌われるのが怖かった。嫌われたくないばかりに組織の空気に迎合し、自分が心の底から良いと信じることを貫かなかった。

トーク後の @nekokak さんに挨拶して感想を伝えたとき、「我を通そうとすることに批判も少なからずあった。でも、自分が誰よりも努力している自信があったので、負けなかった」と言っていた。静かな語り口の裏に、彼が新しい役割と真摯に向き合い、困難を乗り越えてここまできたことが伺えた。

おれはどうだったか?決して真摯に向き合ったとは言えない。二言目には「マネジメントしたくない、早くマネージャーを辞めたい」と言い、降りる日を今か今かと待ち焦がれた。覚悟したようなふりをして、覚悟なんて全然できてなかった。マネージャーとして過ごす時間はソフトウェアエンジニアとしてのキャリアを毀損しているという考えに囚われ、良いマネージャーになる努力を怠った、いや積極的に忌避すらした。

非公式の YAPC 二日目に @myfinder さんとキャリアの話をしたときも、「そういうスタンスで取り組むと、物事はうまくいかないものだよね」と言われた。@ar_tama さんのトークで紹介された DeNA 創業者の南場さんの「ベクトルが自分に向いているうちは何してもだめ」という言葉を反芻した。

おれはハッカーにもなれず、本当の意味でのマネージャーにもなれなかった。なる努力をする機会は与えられたのに、真摯に向き合わなかった。おれはそのことをずっと後悔していて、だからうしろ髪引かれるような想いを断ち切れずにいて、でもなぜ心残りを感じるのかはわからなかった。このトークを聞いて、それが後悔なのだとわかった。


三つ目は id:onishi さんのキーノートスピーチ。副題の「モブがメインキャラを目指す話」を一目見ただけでやられた。これはおれの話だ。物語の主人公になりかった全ての人々の話だ。

大西さんは、あの飄々としたキャラクターで面白おかしく「モブ」なんて自虐ネタっぽい言い方をしてはいたけれど、あくまでポジティブに「もがく」生き様を見せてくれた。劣等感が育つ機会は多かったと言いながらも、劣等感に飲み込まれることなくはてなとともに二十余年歩み続けた。遅くてもやらないよりはずっといい、遅すぎるなんてことはないーーそう言って涙ぐむ大西さんを見て、おれも泣きそうになった。これを書いてる今もちょっと泣きそうだ。

おれは二十代の頃すでに「自分は一流のプログラマにはなれそうもない」と悟っていたが、しぶとく続けることで生き残るつもりだった。才能ある人々が色々な理由でやめていき、才能的には平凡だった人物が残って達人と呼ばれる、そういうことが色々な世界で起きていると見聞きしてきたからそれに倣おうと思ったのだ。大西さんの二十年は弛まず諦めず続けてきた人の個人史であり、おれが目指していた姿を体現している。

おれは転職してソフトウェアエンジニアではなくなってしまったことにまだ時折複雑な想いを抱いているのだが*2、経営者として会社の舵取りをするご自身を「元プログラマ」と言う大西さんの姿はおれの目には幾多の現場をくぐり抜けてきていまだ最前線に立ち続ける兵(つわもの)と映り、つまり全然「元」なんかじゃなくて、要は肩書きとかそういうのは大した問題じゃなくて、なんなら自己認識すら大した問題じゃなくて、何をしてきたか、何を積み上げてきたかが大事なんだ、もっといえば今後何をやっていくのか、何を積み上げ続けていくのかが大事なんだ、という、

この感想エントリは YAPC::Kyoto 2023 が終わった数日後にはほぼ書き終えていたのだが、この部分だけうまく書けず二ヶ月も経ってしまい、あげく今もまだうまく言葉にできていない。できていないんだけど、おれももがき続けようと思ったし、もう少し自分の「今」を愛してもいいのかな、と思ったのだった。

もし私のトークを聞いた誰かが今を愛せたらいいですね。

YAPC::Kyoto 2023 に参加し、キーノート喋ってきました裏話 - 大西ブログ

三者三様のストーリーを、この順番で聞けたから良かったのかなとも思う。それぞれ別々のタイミングだったら、自分の思考と感情がこのようにはならなかっただろう。あらためて、示唆に富むトークを届けてくれたお三方に感謝したい。


他のセッションも面白かった。特に法と技術の交差点はコミュニティ主催の技術カンファレンスではあまり見ないアカデミック色の強い対談で、とても刺激を受けた。4PB(ペタバイト)を超えるオブジェクトストレージをハードウェアからアプリケーションにかけて運用するノウハウでペパボ時代に携わった 30days Album のオブジェクトストレージの現在について知れたのも良かった。@moznion さんのソフトウェアエンジニアリングサバイバルガイド: 廃墟を直す、廃墟を出る、廃墟を壊す、あるいは廃墟に暮らす、廃墟に死すもドライブ感があって、しかし内容は大いに納得できるもので、聞いていて充実感があった。

数年ぶりにペパボ時代の元同僚や Perl コミュニティの人々と再会できたのも、もちろんとても良かった。あまり多くの人とは話せなかったが、少しでも直接会って言葉を交わせることの貴重さが身に沁みた。これこそオフラインの醍醐味だし、場を作ってくれた運営スタッフの皆さんの努力の賜物だと思うと頭が下がる。ありがとうございました。

京都リサーチパーク外観
京都リサーチパーク外観

*1:ハッカーに許してもらおう、というのもずいぶん思い上がった態度だという自覚もまたある。勝手に諦めて勝手に呪われてるやつのことなど彼らには関係のない話なのだから。

*2:サポートエンジニアも技術職であるとはいえ