http://slashdot.jp/journal.pl?op=display&id=308726&uid=3718
このコメントがSPAMとしていろんなブログとかに投稿されている、という話をうけて。
http://slashdot.jp/comments.pl?sid=267010&op=&threshold=-1&commentsort=0&mode=thread&startat=&pid=771685#771988
大元のコメントのありかを知らずに、他人が投稿したSAPMコメントをブックマークしている人のことを「気の毒」といって笑っているのだが。
この感覚は古臭いと思う。大元のコメントのありかを知らないことは悪いことか?スパムでもいいじゃないか、テキストの内容そのものは同じだ。たまたまブックマークした人が最初にそのテキストをみつけたのが、そのURLだったというだけのこと。そして目に留まったものをとりあえずクリップしておいただけなのだから、「このテキストには元ねたがあるだろうか」なんてところまで考えないよ普通。
ずっと前に読んで、もう覚えてないけれど、ミームの自律: 人間中心から情報中心へを再読したくなった。難しかったけど、「この感性で正しいのだ」という感触はあった。相応の価値を持つ情報はそれ単体で(作者という属性と無関係に)どんどん広まっていっていい。