kagamiさんは先のエントリを誤解されていると思う。
いやあ、これ大賛成!!(^^)もっと、生身のSEX、メディアセックス問わず、門戸を開いた方がいい。
私のような意識がエロゲ世界と接続している人間にとってはメディアセックスの方が心身の満足感が
遥かに高いように感じますが(笑)、ただ生身のセックスで何がいい?ということを考えると、それは
ある種のゆとりが生身のセックスした後は持てるようになるということですね。これは言語化しにくい
ですが、敢えて言葉にすればゆとりとしか云いようがないですね。心の余裕というのをもたらす不思議
な効果がセックスにはある。多分、セルフ・コンフィデンス、自己経験に伴う自己信頼感情の充足が、
生身の(そして恋愛もしくは風俗といった形での合意の上での)セックスには伴うのだと思います。
いや、俺童貞だし。「ゆとり」も「心の余裕」も全然ないし。
「風俗は短期的な解決にはなりうる」で、俺が言いたかったのは、「なやんでしにますか、それとも風俗行きますか」ということだ。童貞苦に悩む非モテ男子の一人として、悩みすぎてもうだめだもうしのうと思ってるひとに、ちょっとまて、を言いたくて、あのエントリを書いた。
俺が風俗へ行くときは、もう限界ぎりぎりまで寂しさとかルサンチマンだとかを溜め込んで我慢して、そろそろだめだしのうとか考え出したときに、しぬくらいならまだ風俗へ行った方がましだと思って勇気を振り絞って、行く。携帯電話を握る手は緊張でぶるぶる震えるし、声はうわずって電話口でどもるし、ひざはがくがくするしで、それはもう一大決心をして、行っている。
行って楽しんでるかと言われれば、そりゃ全然楽しくないなんてことはないし、でもやっぱりうまくいえない罪悪感のようなものもある。「ちょっと遊んでいくか!がはは!」なんていう風に割り切っては考えられない。自分がそうだからこそ、「割り切って遊ぶ、だなんて無理だよ・・・」と思ってるひとに、「でもそんなにも思いつめるくらいなら・・・」という思いを伝えたかった。
犬山さんの言うことにも、納得はできない。
前に「非モテは病気の初期症状」みたいなことを書いたんだけど、それはもう事実で、彼みたく「不完全な承認」というグレーゾーンに気付くことができれば症状はだいぶ緩和されるはず。はっきり言って、彼女が居ようが彼氏が居ようが、それによって満たされる「承認」なんて絶対に不完全なんだから。そこに納得がいかないと「非モテ」という病理を悪化させることになる。
「不完全な承認もありだよねーそうだよねー」なんて楽観的には考えられない。100%がいいに決まってるしあくまで100%を求め続けるけど、「おれの人生では15%までしか手に入りませんでした。うつだしのう」っていってしんじゃうよりは、一時的にズルをして70%にして、しにたくなるきもちをやり過ごすのも、最後の手段としてはアリなんじゃないか、不完全でいいわけないけど、このどうしようもなくかなしいきもちをどうにかするためにはやむをえないんじゃないか、っていう。
「たかが童貞、たかが非モテ程度のことでしにたがるなんて」と、ひとは思うかもしれない。けど、本人にとっては本当に一番の大問題で、本当にしんでしまおうかと思うくらいの悩みなんだ。俺は最近では「さすがにしぬことはないよなあ」って思っているけど、もっと不安定で悩んでいた時期もあった。同じような悩みを抱えているひとは他にもいると思うし、そういうひとは風俗に行くなんてとても無理だと思っているだろう。そんなひとに、「どうせ勇気を振り絞るなら、生きるための勇気を出そうよ」と伝えたかった。