@kyanny's blog

自分の不名誉になるような考えを最初に大胆に表明することは、自立への第一歩となる - ニーチェ ドイツ哲学者

人はなぜスクラムをアレンジしたがるのか

標準化された開発手法は、作業者が迷わず手を動かせるようにすること、考えても意味がない類のことを考えて手が止まる時間を減らすことに主眼が置かれているように思う。作業者の時間をいかに無駄なく効率的に使い切るか?という思想。

スクラムのセレモニーってやつもそういう目的(効率化)のためのものなのだろうと思っているが、不思議と「このセレモニーはいつ・どのような間隔で開催するか」みたいな話を延々と何ヶ月にも渡って何度もしている人々を見かけることがある。正直なところ、練度の高いチームであればセレモニーなんて一切無くても(スクラムとかいう開発手法を採用しなくても)生産性高く開発を進めて期日に間に合わせることは可能だと思うが、そうそう練度の高いチームが組めるわけでもないので練度の低さをプロセスの洗練で補おう、という発想なのだと思っている。であれば、なぜプロセスをやたらとアレンジしたがるんだろうか?というのが以前から不思議だった。

開発手法は標準化されていることに意義があるのであって、アレンジしてしまったら意義が大きく損なわれてしまうのではないだろうか。スクラム開発をするのであれば、安易にアレンジしてミーティングを増やしたり減らしたりするのではなく、働き方のほうをプロセスに合わせる努力をすべきなのではないだろうか。アレンジした自前のプロセスが、標準化されているプロセスよりも優れていて機能すると思っているとしたら、それは自信過剰というものではないのか。