日記でなくても、「ありのまま度」が高い文章は日記みたいなものだ。
こういう、どうということもないことをずっと書き続けていると、はてなブログの関連記事推薦昨日とか「何年前の今月はこんな記事を書いてた」メールとかで偶然読み直す機会がたまにあって、なかなか面白かったりする。
積み上げた量は量そのものに価値がある、いや価値というほどたいそうなものじゃないが、なにか他のものでは代替できない意味がある。日記、ブログはとくに量のちからを感じる。時間をかけないとできないことだからだ。
日付を変えて機械的に連続投稿すれば見かけ上は長期間書いてきたようなブログを短時間で量産できる、のはそうだけど、そんなのは人間が読めば一発で見抜ける。実際に見抜いたことがあるわけじゃないけど、自信はある。時の流れが刻まれてないはずだからだ。
はてなが急に商売っ気のないブログを推しはじめたのでなんだろなとは思いつつも、こういうのが一番似合うブログサービスははてなブログだろうどう考えても。だからどんどん、「何書いてもいいんすよ」と公式が発信していってほしい。誰に読まれることも意識してなくて、でも誰かには読まれる可能性を認識はしていて、結局誰にも読まれてないかもしれないけど書き終わったもののことはあんまりどうでもいいや、そういうテキストこそ実にインターネットらしいと思うのだ。
なおこのエントリのタイトルはいかにもはてなブログタグ?をつけてそうに見せかけて、iOS アプリから書いてるのでタグはついていない。べつに繋がらなくていいんだよ。むしろ離れ小島でいいんだ。繋がりたい人は勝手に繋がればいい。「#〜〜と繋がりたい」なんてハッシュタグは無限にある。積極的に繋がりたくはないけど存在すら知られない絶海の孤島ってのもやはり寂しい、そんなアンビバレントな気持ちを受け止めてくれる、繋がらないけど発信だけしてる、それが許されるからブログがいいんだ*1。
*1:トラックバックはどうなんだ、という話もあるが、いま総括するならばあれはブログの「繋がらない、独立している」という特性と指向性が逆の機能だったから衰退した、という理由をでっちあげることもできるのでは、と思った。まあ直接の理由はスパムに決まってるが、繋がることに最適化した SNS が瞬く間に広まって今も支配的なことと、繋がりが希薄なのにまだブログはそれなりに残っていることは、棲み分けが可能であり境界を曖昧にする機能は淘汰された、という見方もできるような気がする。まあブログ(サービスプロバイダ)が消滅してない一番の理由は SNS よりアフィリエイトをやりやすいからだろうけど。