キラキラしたサクセスストーリーをみるたびに思うのが「『一人一人が輝く』なんて嘘だねっ!」ということで、周囲が輝いてないからこそ「あそこが輝いている」とわかるのだ。全員が輝いてたら眩しくて見分けがつかない。
上杉昇時代の WANDS 後期の曲で「Same Side」というマイナーなのがあり、こういう歌詞がある
限りある人生のレース そこに勝敗などない
これを聴いたとき、「いや、勝敗は明らかにあるだろ」と真逆の感想を持ち、そのときから「目立たない・目立てない奴が大勢いるからこそ目立つ奴が目立てる」という価値観を強烈に抱くようになった。学生時代は目立たない・イケてない側だったので溜まった鬱憤へのアンサーを得た気がした。
ここに救いはない。この世の春を謳歌している奴はその他大勢など一顧だにしない、単なる背景としか認識していない。背景なんてものがあることすら認識していないかもしれない。自分たちが引き立て役として背景を(目立たないように)彩っているおかげだ、なんてのは慰みにもならない。余計に虚しくなるだけだ。