@kyanny's blog

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どうやら俺は咲野さん以外は NO 眼中らしい

以下、 3213 文字もキミキスとギャルゲーと脳内彼女の話に終始していてなおかつ改行が全然ないので読む人は注意してください。

三週目に入った。今回は結構本気で落としにかかってる。何回かロードしてやり直した。最初は咲野さんとエンカウントできそうな二年教室、体育館、校庭のみをまわっていたが、全然エンカウントできなかったので、?マークのイベントはつぶしておかないと進まないのでは、と思い、とりあえず他のキャラのイベントも消化する方針に。で、初日に出会えたはいいものの、ほとんどエンカウントできず、会っても都合が悪くて会話に入れない、というまま十日くらい過ぎてしまい結構焦る。期限が三十日で、二周目プレイで四回目の週末までには週末デートの約束をとりつけておかないとダメだとわかったので、あんま余裕がない。週末デートはレベル4になってないとダメだろうから、そうするとますます余裕がない。ということでやきもきしてたが、「咲野さん用」という運動にフォーカスした話題袋を用意して臨んだので会話に入れればこちらのもの、みるみるゲージためてアタックアタック。で十七日目終了時点でレベル3なのだが、今回はなぜかラブラブに極端に寄っている。で、ラブラブルートだとナカヨシルートと同じイベントでも切り口が違う。水泳部の練習で先生が先に出てきたりとか。あと、スク水姿のときに「体」の話題を振ってトーク成功すると、話題がエッチ寄りに解釈されてテンションがあがったりとか、結構細かく作りこんであるようだ。ちなみに、アタック成功時のストーリーイベントみたいなのもラブラブ側だと展開ががらりと変わっていて、まあ先生じゃなくなって内容もラブラブよりになるわけだが、あんま書くとネタばれになるのでやめておく。 RSS リーダーで読むと CSS でもんたメソッド使っても無効になる気がするし。まあでも RSS リーダーでこれ読む人はほぼ全員俺のキミキスプレイ日記が読みたくて登録してる人じゃないしキミキスを遊ぶ気もさらさらないはずだからまあ安全ではあるけど。でそれはそれとして、当然他のキャラとのエンカウントもあるわけだが、その対応が極端すぎて自分でもびっくりというか、なんというか、思った。のでちょっと書く。

俺がときめきメモリアルに出会った高校一年の春だか夏だか、その頃は雑誌に情報がちょろちょろ載ってたんだけど、確かそのときのキャラクター紹介画像で見た瞬間から、俺は朝日奈さんしか眼中になくなっていたように思う。見た目と、ほんの数行の性格設定をみて、ほぼ心は決まってしまっていたはずだ。その後秋ごろに当時の小遣いからなけなしの三千円をはたいて買った朝日奈さんがジャケ絵の回のドラマ CD は数年間俺の最も大切な宝物だったが、それを聴く前にも、俺が朝日奈さん以外に一切興味を抱かなくなった決定打であるその声は何かしらのメディアを通じて聴いていたようにも思う。で、今回キミキスに関してはとくに事前の資料で誰と決めていたわけではなく、自然にプレイを通じて決めよう、というおぼろげな意思すらなく、ぶっちゃけていうと全員クリアしてやろうと(それが普通の遊び方だと)思っていたのだが、しかし、ものの二日も遊んでみたらやっぱり一人に絞られてしまった。これには性格設定と、やはり声が多大な影響を及ぼしていると思う。ゲームのキャラに限らず、相手が生身の女の子©Hayashida だったとしても、声は容姿に属する要素の中で最も重要な部分の一つであると俺は考えているので、咲野さんの透明感があり湿っぽくない声はまさに決定的だった。たぶん声が一番かわいかったから、というのが理由の多くを占めるかもしれないくらいだ。声のかわいさに比べたらそれこそ胸が大きいか小さいかなんて心底どうでもいいことでしかないのにと思う。話がそれた。とにかく咲野さんだが、「俺は咲野さんがいいな」と自覚してしまったので俺はもう他のキャラを攻略することができない。声を聞くことすら嫌で全部スキップしているのは単に好みの問題でしかないが、会話イベント含めて他のキャラクターの存在そのものに一切興味を感じられなくなってしまったのは、ときメモのときとまったく同じ現象なので少し驚いた。どうやら俺はゲームのキャラに対しても操を立てずにはおれない気質だったらしい。ときメモのときの極端さは若気の至りというか特殊例なのかと思っていたが、しかし考えてみれば君が望む永遠をやったときだって茜タンエンドを網羅したあとはまったくやらなかったのだからもともとそういう性格のようだ。我ながら書いていて馬鹿馬鹿しくなってくるが、ゲームのキャラに夢中になりすぎてこれはキモイというか危険だろう、はたからみたら。さすがに「朝日奈さん以外の女の子を攻略するなんて朝日奈さんがかわいそうだ!」とまでは思わないが(ありもしないキャラの自我の感情の起伏を妄想したりするほど今回は重症ではない)、しかしゲームの達成度を上げるために他のキャラを攻略する(文字通り、攻略本や攻略サイトを参照して機械的にクリアする)気もゼロになってしまうというのはやはり人としてちょっと異常なんじゃないだろうか、という自覚はある。ただこれがギャルゲーマーとしてどうか、というと、割合普通なんじゃないかとも思う。ギャルゲーはエロゲーと違い脱ぎがなく抜きもない(抜くのは勝手だが少なくとも建前上システム的に想定され組み込まれてはいない)ので、何を楽しむかといえば画面上で繰り広げられる擬似恋愛そのもの、それに加えてそれを発展させて十人十色の外伝をつくり、二人の物語を補完していく妄想を楽しむゲームなわけだが、だとすると相手は生身どころかバーチャルな女の子なのにもかかわらず脳内では最大の存在感を持っていなければならず(擬似であっても恋愛、脳内彼女なのだからそのくらいでなければ妄想の維持は不可能だろう)となるとひいきのキャラを鞍替えするというのは今までひいきだったキャラとの決別をも意味する。それは相当な苦痛になるだろう。脳内で起こっていることは「彼女と別れる」という想像を絶する贅沢、もとい悲劇なのだから。だから、これと決めたキャラとはそうそう疎遠になるわけにはいかない、ましてやデートしたりキスしたりエンディングみたり伝説の樹の下で告白されちゃったりした日には、ゲームの延長としての未来予想図においては結婚してるくらいの真剣さがなければ不誠実というものだ。と俺は思う。だがこれは本田透氏のような生き様をそのままトレースするものではないということは書き留めておきたい。脳内彼女の存在を維持するのは、自身が抱く彼女への強い印象だけだからだ。メディアに露出している間は印象も強く、存在の維持は容易だ。しかし年月が経ち、印象が薄れてしまった場合、存在を維持するのは困難になる。記憶だけに依拠する存在は、はかない。記憶というのは薄れそして消え去るさだめにあるからだ。現に俺は、朝日奈さんという存在がありながら、こうして咲野さん咲野さんといってしまっている。もうちょっと割り切った人なら(というか普通の人なら)ゲームのタイトルが違うのだからそれぞれは別世界に属している、よってどちらも相互に干渉しないので両取りが可能だと考えるかもしれない。そしてもうちょっとゲームに興味がない人だったら、誰のプレステで再生しても同じ笑顔を見せるギャルゲーのキャラに対してこんな劣情を催すなんて気が狂っていると叫ぶだろう。いや劣情はまずい。自分とキャラとの関係を真剣に考察していると言い換えよう。どちらにしてもキモイことに変わりはない。もっと書いておくことがあったようにも思うが、忘れてしまったのでまたの機会にしよう。

ともあれ、自分がまだギャルゲーを楽しめたことは喜ぶべきことだろう。