@kyanny's blog

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2025 年を振り返る

今年は生活面で大きな変化があった。近況 - @kyanny's blog でも多少書いたが、あらためて。

仕事

三月に Senior Support Engineer に昇進した。2024 年、当時の上司に昇進について相談し、career development plan のようなものを書いてもらった。秋に上司が変わったが、そのあたりの期待値をうまく引き継いでもらえたのか、新しい上司がサポートしてくれて、今年の一月中には内定の知らせをもらったような記憶がある。

新しい上司は成果を出すことへの意識が強く、部下への要求も高いが、かなりローコンテキストなコミュニケーションスタイルで要求の根拠も納得感があるので、ちょうど良いストレッチ目標になっている。意思決定の基準もはっきりしていて、非常に合うタイプだと感じている。この人の下でならもっと上を目指せるかも、という感触もあるが、自分のことは差し置いてもこの人には成功して欲しい、と思える。

五月にはオーストラリアのブリスベンに出張し、部署の集会に参加した。入社後初の海外出張、初オーストラリア。日本人以外の同僚たちとも初めて直接交流する機会を持てた。一週間弱滞在したが、乾燥した気候に喉をやられて激しい喉の痛みと咳に悩まされた。帰国後、喘息と診断された。リモートで仕事しているのでみんなで集合するのは貴重な機会だし、面と向かって話すことの利点もわかるが、しかし自分はやはりそういうのがなくてもやっていけるタイプだな、と再確認した。

日々の業務はずっと忙しかった。五月の集会で滞ったタスクを消化しきれないまま夏になり、夏の終わりにようやく追いついたと思ったら、一息つくまもなく冬にかけてまた忙しくなり、落ち着かないまま年末を迎えた。今年は身近なチームメイトも何名かレオイフの対象になり、その影響も少なからず受けた。二年前に全社で大規模なレイオフがあったときはサポート部門はほぼ無傷だったけど、今回はそうはいかなかった。聖域は無い、明日は我が身だと思い知った。

生活

家を買ったことと、猫が病気になったことがハイライト。

そもそも家を買う予定はなかった。自分自身は賃貸派だし、金沢に引っ越した時点でいずれは妻の実家に移り住むのが既定路線だった。妻の実家は築80年の古い家で、去年の地震で耐震の不安が露呈したこともあり、今年は耐震工事とリフォームをする計画で、夏頃から工務店と具体的な話を始めたが、次から次へと想定外の問題が発生し、計画は頓挫した。当初こちらが提示した要求が高すぎたこともあり、最終的に工期一年弱・費用は家一軒建てられるくらいかかる見積もりになった。多少の困難があっても突き進む覚悟だったが流石に方針転換を余儀なくされた。都合の良いことに、妻の実家から徒歩3分のところに新築の建売住宅が売り出されていて、内見してほぼ即決した。

家周りのことはリサーチから不動産屋との交渉まで妻が一手に引き受けてくれたが、夏から秋にかけては猫の体調不良も重なって色々と余裕が無く、ずいぶん苦労をかけてしまった。さらに彼女自身の心配性な性格も手伝って、耐震等級のことで気を揉んだり、業者を手配してホームインスペクションを実施したりとタスクが増えていったが、結果的には納得できたようでよかった。おれ自身は耐震も何も気にしておらず、ただただ気に入っている。集合住宅を終の住処とするのは嫌だったので、戸建てを買ってよかった。

猫の体調不良は五月末ごろに遡る。妻によると、おれがオーストラリア出張中から様子がおかしくなったらしい。緑がかった濃い茶色の、タール状で刺激臭が強い吐瀉物を六回七回と嘔吐するようになった。猫が吐くのは珍しいことではないが、それまではご飯を勢いよく食べ過ぎた後や毛玉が混じったものを吐いていたし、決まって三回だった。かかりつけ医に連れていって検査をしてもらっても結果はすべて良好でどこも悪い様子がなく、原因がわからない。食欲も目に見えて落ちて、ドライフードはほとんど口をつけず、ウェットフードやおやつに混ぜて吐き気どめと胃腸薬をどうにか飲ませる日々が続いた。ウェットフードを片っ端から買っては品を変えて与え、食事のたびに一喜一憂した。

そんな日々が数ヶ月続き、嘔吐の症状も改善が見られないので、それまで何度もかかりつけ医で様子を見てもらっていたが改めて検査をしてもらったところ、超音波検査でお腹に怪しい影が見つかった。悪い病気の可能性があり、設備のある病院を紹介してもらってCT検査を受けることになった。全身麻酔が必要なので老猫には負担が大きいが、背に腹は変えられない。最速で二日後の予約が取れ、週末にやや遠方の病院へ。午前中に預けて、夕方にお迎え。影は腫瘍、いわゆる癌で、かなり大きく、そのせいで大腸内が狭くなり通過障害を起こしていた。だから食欲が落ち、頻繁に吐いた。吐瀉物の刺激臭は、ほぼ便に近い状態のものだったから、というのが検査結果を受けてのかかりつけ医の見立てだった。肺にも微かな影があり、転移かどうかは不明。手術を勧められた。その次の営業日の朝一番でかかりつけ医に出向き、手術を依頼した。最速で一週間後の日程を予約したが、手術前後の二週間は心配のピークだった。

お腹を開けてみてわかったことだが、腫瘍は大きすぎて切除できず、通過障害を解消するためにバイパス手術に切り替えて実施した。またお腹の中に播種という、転移のようなものも認められたので、そもそも腫瘍だけ切除しても意味はない。確定診断のために組織を切除し、検査機関に回した。ここ数ヶ月で腸の動きがかなり悪くなっているので、バイパス手術をしても腸の動きが回復せず、そのまま死に至る可能性もあると告げられたが、術後の経過は順調ですぐにご飯を食べ、うんちも出て、月曜に手術して週末には帰宅できた。その後は食欲も体重もほどほどに戻り、タール状の吐瀉物は吐かなくなり、見た目にはすっかり元気になった。今は二日に一回、抗がん剤のような薬(副作用が強くない、免疫の働きを助けてがんの進行を抑える薬)を飲んでいる。小康状態というやつだろう。

もっと早く気づいてやれなかったのか、という後悔はある。仕事や家のリフォームのことに気を取られすぎた。我々にとって非常に大きなプロジェクトだったし、相当のリソースを取られたのは致し方ないが、それがなかったらねこるの異常にもっと敏感に対応していた可能性はあった(そもそも我々は猫の状態には過剰に気を遣ってきたので、普段と違う吐き方をした時点でもっとしつこく精密検査を依頼したり、セカンドオピニオンを検討・実行しても不思議ではなかった)。秋頃は、一緒に年を越せないかもしれない、出会った記念日であるクリスマスも、妻の誕生日すら一緒に過ごせないかもしれないと悲観的になったこともあったが、検査や手術に頑張って耐えてくれて、元気になって一緒にいられることを幸せだと思う。薬が効いてくれているのか、そうであったとしてもそんなに長い時間は残されていないのかもしれないが、一日一日、一瞬一瞬をかけがえのないものとして大切にして過ごしていきたい。

その他、総括

家を買うなんて一生に一度の大イベントで、普通はそれが今年一番の出来事になるはずだが、我が家にとっては猫のほうが大事。この優先順位は絶対だ。したがって今年の一文字は、表向きには「家」だが、真の一文字は「猫」あるいは「病」ということになるだろう。病といえば自分の持病はスキリージもよく効いて全く問題なかった。あとは、夏頃からランニングを習慣的に行い、健康的な生活に一歩近づいたが、仕事もプライベートも忙しくて Bizmates は完全に習慣から外れてしまった。サッカー観戦も、猫の病気がわかってからは一度もスタジアムに足を運ぶことなくシーズンが終わった。車でのドライブも一切しなくなった。猫の具合が悪くなったらと思うと遠出する気にならないし、今は少しでも長く猫と一緒に過ごしていたいし、妻が猫と過ごせる時間を最大化したい。

今年は波乱の一年だった。それに尽きる。来年は、これまで以上に猫の幸福を最優先したい。少しでも長く、一緒に暮らせますように。