「レベルの高い環境に身を置く」をよしとしてきたが、よくわからなくなってきた。
周囲のレベルが高いということは相対的にみて自分のレベルが低くなるということで、それは自分が「頼りにならない・役に立たない」人材と化すことを意味する。自分は使えないやつなんじゃないか、という疑念を抱きながら過ごすというのは非常に強いストレスを感じる。
例えば、自分以外全員英語ネイティブか帰国子女か TOEIC 950 点以上か、というくらい周囲が英語に達者な環境で、英語のドキュメントや StackOverflow にはおじけづきません程度の英語力だったとすると、相当レベルが低いということになる。日々必要とされる英語力は十分まかなえる実力があったとしても、周囲のレベルが高いがゆえに満足も安心もできず、劣等感に押しつぶされないように自分を鼓舞し続けなければならない。
モチベーションは長期的にみれば枯渇することはないが、水道のように蛇口をひねっていつでも望む強さで出力できるようなものでもない。モチベーションが維持できている間は、レベルの高い環境は向上心を保ち努力を継続させるためにちょうどよい負荷となるが、負荷に耐えられなくなると仇となる。
自分がレベルアップし続けるために選んだはずの環境が、むしろ自分の意気を削いでいるとしたら、いったいなんのための選択だったというのだろうか。