- 形式知の方が良い、が、全てを形式知にしようとするのは、コストがかかる以外にも微妙な問題をはらむ
- 暗黙知の問題は、自分が「知らない」ということを知ることができない、ということ。知って初めて「そんな情報(知識)があるとは知らなかった」とわかる
- 形式知になっていれば、入手できる情報(知識)のうち知らないものは何か?が把握できる
- 暗黙知のもたらす消極的なメリット・形式知のもたらす消極的なデメリット
- 暗黙知は経験が培うもの。暗黙知を多く獲得する過程で自信や責任感が育まれる(論理の飛躍があることは認める)。ある種の通過儀礼
- 形式知化を推奨・促進する過程で「知らないことは悪ではない。暗黙知が必要なこと・形式知化されていないことの方が問題」という価値観が正義になることがある。これが危険
- 「まだ知らない情報(知識)があるのではないか?情報(知識)を獲得する努力を怠ってはいないか?」と内省する動機が損なわれる
- すでに暗黙知を持っていて、その暗黙知の形式知化を推進する側が「(暗黙知を)知らないことは悪くない」と啓蒙するぶんには良いが、情報(知識)を享受する側が「(私が)知らないことは悪くない」という主張を盾にしだすと終わる
- 情報(取得可能性)格差について
- 情報(知識)収集に積極的な人は暗黙知を多く獲得する。その中の一部に、「(自分自身は暗黙知を獲得しているし今後も獲得できるので形式知化されていなくても困らないが)暗黙知を知れないことは問題なので形式知化すべき」という主張を持つ人がいる。その中の一部が実際に行動に移す。こういう人たちは「知らないことは悪ではない」と本気で考えつつも、自分自身は「知らない」という状態を看過せず知り続ける
- 罪悪感ではなく好奇心に駆られて情報(知識)収集をするので、「知らないことは悪ではない(だって知ることは楽しいことだもの)」という考え方をする
- 情報(知識)収集に消極的な人は↑の人たちが獲得した知識を享受するのみ。この勢力が「(私が)知らないことは悪くない。(↑の人たちが)暗黙知を形式知化していないことが問題」という考えを持つようになると、終わる
- 暗黙知を形式知化するのにはコストがかかる。時間・お金だけでなく、形式知化(== 文書化)することが難しい概念などもあり、そういう知識こそが貴重。情報(知識)獲得に積極的な人が新しい知識を獲得するペースは獲得済みの暗黙知を形式知化するペースより早いので、両者の情報格差は広がり続ける
- 情報(知識)収集に積極的な人は暗黙知を多く獲得する。その中の一部に、「(自分自身は暗黙知を獲得しているし今後も獲得できるので形式知化されていなくても困らないが)暗黙知を知れないことは問題なので形式知化すべき」という主張を持つ人がいる。その中の一部が実際に行動に移す。こういう人たちは「知らないことは悪ではない」と本気で考えつつも、自分自身は「知らない」という状態を看過せず知り続ける
- 「知らないことは悪くない」という主張に対して「それは違う」と反論するのは難しいご時世なので、「知らないことは悪くない」という価値観を増長させない工夫が必要なのかもしれない
- あえて暗黙知をそのままにしておくことによって、「全てを形式知化するのが最善ではない、暗黙知を獲得することも必要」というムードを演出する、とか
- 味付けを間違えると「部活の先輩にうさぎ跳びをさせられた」みたいな感じになってしまうので、難易度は高いが