@kyanny's blog

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読書の技法

面白かった。文章がわかりやすく、読みやすい。

要約

  • 著者の主張は「読書は有用だ」である。なぜなら、読書を通じて体系的な基礎知識を身につけられるから
  • 読書の基本は「熟読」である。熟読の極意は「同じ本を三回読む」
    • 一回目: 線を引く
    • 二回目: ノートにメモする
    • 三回目: 最後に通読する
  • 専門書の場合、せいぜい月に数冊しか熟読できない。熟読すべき本を厳選するために速読がある
    • 一冊五分で読む「超速読術」: 1ページ目と目次を読む。本文は文字を読まずページ全体を「見る」。線は引かず、丸で囲む + ページに印(折る)。最後に結論部を読む
    • 一冊三十分で読む「普通の速読術」: 要するに、新聞と同じ読み方。見出しで当たりをつける。既知の情報は飛ばし、必要な未知の情報を拾い読みする
    • 速読のコツ: 完璧主義を捨てる。速読が熟読よりも効果を挙げることは絶対にない。繰り返し読み返してしまうと熟読と同じ時間がかかってしまい、速読の意味がなくなる
  • 本の内容を記憶に定着した「知識」にするには、読書ノートにアウトプットする
    • 抜き書き(ハイライト): コメントを書く。まずは「賛成」「わからない」「おかしい」など、自分の「判断」を。加えて「意見」も書く。

感想

佐藤優さんほどの人でも熟読している本は月に平均 4 ~ 5冊というのは驚いたが、親近感が湧いたし、励みにもなった。

なお、学び直し目的でこの本を読んだわけではないので、「第二部 何を読めばいいか」は流した。

以下、ハイライトとメモ。関連の深い部分をまとめるために順番を入れ替えている。


ハイライト

本屋に行けば、実用書のコーナーに速読術の本がいくつか並んでいる。ページのめくり方や視線の動かし方について指南しているものも多いが、結論から言うと、これらの本を読んでも速読術は身につかない。

著者も「普通の速読術」の手法として、「定規を当てながら1ページ15秒で読む」というものを紹介している。これは速読術の指南書に対する批判と矛盾するように思える。

速読において時間をロスする最も大きな要因は、内容に引っかかってしまい、同じ行を何回も読み直すことだ。  これを直す技法がある。定規を当てながら速読するのだ。そうすると、同じ行を重複して読むことを避けることができる。


知らない分野の本は超速読も速読もできないというのは、速読法の大原則だ。

ごもっとも。上述の速読術の本への批判は、「効率を求めて安易な速読テクニックに走るな」という警鐘だろう。


本にはその本性から、「簡単に読み流せる本」と、「そこそこ時間がかかる本」と、「ものすごく時間がかかる本」の 3種類がある。

ただし、読むのにそれほど時間がかからないということと本の水準との間に直接的連関はない。

興味深い。難解な本 = 読む価値がある本、は必ずしも成り立たないということ。読みづらいことで悪名高い専門書の類いは少なからずあるが、周囲の風潮に流されず、読む価値があるか冷静に判断すべきだ(ファッションとしての読書)

関連して、以下も。

ただし、同じ読書でも、細切れ時間に読むのに向く本と向かない本がある。これは本の難易度とは直接関係はない。


最大月 10冊を読んだとしても 1年間で 120冊、 30年間で 3600冊にすぎない。

3600冊というと大きな数のように見えるが、中学校の図書室でもそれくらいの数の蔵書がある。人間が一生の間に読むことができる本の数はたいしてないのである。

このように数字の比較を用いると、説得力が増す。「FACTFULNESS」で指摘されていた「過大視本能」。


入門段階で、基本書は 3冊、 5冊と奇数でなくてはならない。  その理由は、定義や見解が異なる場合、多数決をすればよいからだ。

なぜ奇数なのか?と思ったら、案外単純な理由だった。


基礎知識をつける場合、あまり上級の応用知識をつけようと欲張らないことだ。

それから、最新学説を追う必要もない。最新学説が学界で市民権を得るのに 10年くらいかかり、それが入門書に反映されるのにさらに 10年くらいかかる。したがって、入門書で得られる知識は 20年くらい前のものであるが、それはそれでいいと腹をくくることだ。

著者の専門である神学や、哲学は10年20年で学説は全然変わらない、とも。この点は分野によって大きな違いがある。 IT やソフトウェア開発の分野は変化が激しいので、数年で知識が陳腐化してしまう。ただ、だからといって常に最新の知識を追わなければならないわけではないし、分野内の全ての領域について動向を追わなければならないわけでもない。


物事を体系的に考えることは、エリートとして国家や企業を指導するために不可欠だ。
本当のエリートには、単に学力が秀でているだけでなく、社会(株式会社も社会の一形態である)や国家を指導していく識見と人格が求められる。そのための基本が「他人の気持ちになって考えることができる」ということだ。

もっとも、エリートは他人の気持ちを理解しても、その気持ちを踏みにじるような決断をしなくてはならない事態に直面することもある。その場合も一部の人々を犠牲にする決断を下すことが、社会や国家全体のために必要であるということを、エリートは論理的に説明できなくてはならない。それとともに犠牲になる人々の痛みを感じ取る能力も必要とされる。

なるほど、深い。この本は週刊東洋経済の「知の技法・出世の作法」がもとになっているとのことで、ところどころ読書とは直接関係ないが興味深い記述がある。

つまり、社会や人間を理解するには2つの道があるということだ。ひとつは「学術」的な道であり、これは社会科学や人文科学によって獲得する。それに対して、「心情」を通じた道もある。これは小説を読むことによって獲得することができる。


ここまで書くと読者から、「体系知を身につけるためのよい参考書を紹介しろ」という質問が寄せられることが想定されるが、結論から言うと、そのような参考書は存在しない。

ばっさり。


第 1回目の通読を漫然と行ってはならない。実はいい加減な仮読みのような手法で一度本を読んでしまうと、その後、重要事項がきちんと頭に入らなくなってしまう。

熟読と速読は明確に区別すべきだ。


本を読み終わったところで、ほとんどのページに線が引かれているような状態になってしまうこともあるが、読了してみると、今度はどの部分が本当に大切であったかがわかるので、不要な線は消しゴムで消せばよい。線引きにボールペンやサインペンではなくシャーペンを用いるのは、後から消すことを想定しているからだ。

電子書籍のハイライト機能の場合、消すのもそこまで手間ではないが、 Kindle の場合はハイライトやメモに「お気に入り」の印をつけることができ、「お気に入り」だけに絞って表示することができるので、それで代替するのもよいかもしれない。特に、読書ノートに転記する際は「お気に入り」の印をつける過程が役に立つ。


だからこそ経済的に許す範囲内で、書籍、雑誌に関しては、「迷ったら買う」の姿勢を原則にしたほうが得である。

そのうえでおすすめしたいのは、自分の本棚にあえて「積ん読」本のコーナーを作り、 5 ~ 6冊たまった頃合いを見て、超速読をしてみることだ。

積ん読への対処法は?という質問への回答。あえてためてみる、という発想が斬新。


本を読み終えてしばらく経つと、何が書いてあったかということの記憶が薄れてしまう。いかによい内容の本を読んでも、その内容が記憶に定着せず、必要なときに引き出せなければ意味がない。いざというときに役立たない知識など、いくら詰め込んでも無駄だ。

そのとおり。ただしこれは専門書や実用書の話であり、娯楽のための読書には当てはまらない。


この点を改善するには、読書後 30分かけて補強作業をするとよい。

三十分で終わるものだろうか。このブログ記事も、ハイライトの転記作業なども含めるともう一時間以上かけてしまっている。


線で囲んだ部分をノートに書き写し、その下に簡単なコメントを走り書きするのだ。これだけで記憶への定着がまったく変わってくる。

大切なのは正確な形でデータを引き出せることと、積み重ねた知識を定着させることで、完璧なノートを作ることではない。

肝に銘じたい。特に Evernote のようなツールを使っていると、ツール上の情報整理にこだわってしまいがち。


わからない箇所が一カ所もないような本は、逆に読んでも意味がない。

確かに!


教養のための外国語とか歴史というような、動機があいまいなままだらだら学習することは時間と機会費用の無駄なのでやめたほうがいい。

耳が痛い。だがこれも、だらだらと学習することを娯楽として楽しんでいるのだ、という立場であれば構わないだろう。


論理を無視した知識はすぐに記憶から消える

語学とか数学とか。


神学に関心がない人に受肉論の本を読めと強制しても苦痛であろう。娯楽に関する読書はそれこそ人それぞれなので、なかなか助言ができないのである。

要するに、娯楽のための読書はメリットがどうとか考えず、好きに読めばよい。


外国語の書籍は、易しい順に法律書、経済書、歴史書、哲学書、小説となる。最も難しいのが詩だ。

おもしろい。


1日 1時間、机に向かう時間を確保すれば十分可能である。筆者の経験則で言うと、それ以下の時間だと効果が出ない。

これは実感としてわかる気がする。いくらスキマ時間で勉強できるとうたっているものも、本当に5分とか10分ではあまり身についている感覚はない。


読者にも、何人かでテーマを決めて、 1週間に 1回、書評の会合を行ってみることをすすめる。この場合、書評で取り扱う専門書を 30 ~ 50冊にして、それらの本をすべて消化したところで、会合を終えることだ。恒常的な勉強会となると、組織維持にエネルギーを割かれる。これを避けるのだ。

なるほど!終わりを決める、という発想。とても面白い。何らかの目的をもって結成されたコミュニティ活動や、社内勉強会の類いなども、この考え方に沿って「終わり方」を決めて運用してみてはどうか。

読書の技法

読書の技法

  • 作者:佐藤 優
  • 発売日: 2012/07/27
  • メディア: 単行本