@kyanny's blog

流行はつねに前進していく。そして、精神の偽りの自由が絶えずせり上がっていく - ロマン・ロラン

年末年始

猫二匹連れて妻の実家に帰って年越しした。生まれ育った家でも土地でもないのでホームかアウェイかでいったらアウェイなのだけど、十日ほど滞在して毎日昼まで寝てたしなんなら飯食ってから昼寝までした。我ながら神経図太いというか態度が図々しいと思う。しかしそれですらまだ遠慮があるほうで、身体は休まったが心はさほどリフレッシュされなかった。というか自宅なら夕方まで寝てるところなので昼に起きるのは比較的早起きですらある。つまりやはりアウェイなりに気を張っていたということだ。

年末年始はいくつかやりたいこともあってラップトップを持って行ったりもしたが、結局一度しか開かなかった。二日くらいカメラ片手に数時間ぶらぶらと近所をうろついて、他の日は買い出しに付き合ったり買い物をしたり、一日にひとつかふたつの用事をこなしたらもうその日の予定は終わりという感じで、見事に何もしなかった。あまりにも何もしなかったので少し後悔するくらいだったが、自宅に戻ってから下園壮太氏の本のレビューを読んで、ああそうかおれは心が疲れていて何もしたくなかったのだ、だからきっと何もしなくて正解だったのだろう、と思うことにしたら少し気持ちが軽くなって、帰宅した翌日は一人で外出する気になれた。買い物をする気持ちにはなれなかったが、明日は買う気が出るかもしれない。

年末年始にじっくり考えようと思っていたこともあまりじっくり考えられなかったが、考えるも何も結論はもう見えていて、あとは自分が納得できる理由を見出せるかどうかに過ぎないのだろうな、と、薄々気づいていたが素直に認めたくはなかった結論に目を向けるしかないのか、ということを再確認するにとどまった。自分を奮い立たせるような、やる気に満ちあふれるような理由は特に見出せず、ただただ自己犠牲で穴埋めしなければという消極的な理由ばかりが積み重なっていく。いっそ心を無くして、できることと必要なことが重なり合うことだけやって過ごしてしまったほうが楽なんじゃないか?と思ったりもするが、それは邪悪なことだと思うし、心が死んだら流れで本当にふらっと電車に飛び込んで死んだりしかねないよなーとも思うので、何かしら妥協点なり突破口なりを見つけなければ。そういうので苦労したり努力したりすんのが嫌だっつう話でもあるんだけれども。