@kyanny's blog

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Twitter のスペースについ肩入れしたくなってしまうのは、Clubhouse にみじめな想いをさせられた恨みからくるんだろうな、という自覚はある。

別に直接辱めをうけたわけではない。ただ、これだけ SNS が浸透して「実際に繋がりが発生している友達関係」が見える化された世界において、Clubhouse がとった「招待制」という手法は、一部の人たちにとってはあまりに残酷すぎたと思う。

招待制といえば mixi もそうだったし、やはり「まだ招待されてないの?」というプレッシャーは存在したが、「招待されてないことを自覚している自分」と「mixi を楽しんでいる奴ら」は隔離されていた。いまは「Clubhouse に招待されてない人」と「Clubhouse を楽しんでいる人たち」を第三者が同時に観測でき、その非観測可能性こそが恥辱の源泉となってしまう。

むかしプリクラが流行ったとき、「プリクラを撮ったことがない」ことはすなわち「一緒に撮る相手がいない」ことを表し、ゲーセンでプリクラのブースの近くを通るたびにみじめな気持ちにさせられたのと似ている。

スペースも「フォロワー何人以上のアカウントのみホストになれる」という縛りが(まだ)あるのはいただけないが、いずれ撤廃されて「誰も聞いてないツイキャス」みたいなスペースが乱立する日がくるのを期待している(どうせそういうのはアルゴリズムで非常に目立たなくなるのだろうけど、それはまた別の話)。