二十代の半ば頃、ネットの知り合いと二人で六本木から下北沢まで歩いたことがある。彼は用事で上京していて、近くにいるなら会おうぜという話になり、夜の首都高沿いを延々歩き、三軒茶屋を経由して下北沢に着いたときは深夜近くだった気がする。彼は知り合いのライブを観るとか何か予定があり、駅前で別れた。その日どうやって帰ったのかも覚えていない。
掲示板の書き込み(と稀に放送していたネットラジオの声)からどことなくスマートで洗練された雰囲気が感じられ、好感を持っていた人物の一人だったが、会ったのはそれが最初で最後だった。一時期はメールのやり取りも交わしていたが、いつの間にかそれも途絶えてしまい、彼が主催していたウェブサイトと掲示板も無くなっていた。
当時のネットではかなり珍しいことだったが、彼は本名を教えてくれた。名付けのエピソードがとてもユニークで、強く印象に残った。漢字が易しいこともあり、以来フルネームをずっと覚えている。
数年に一度ほど、ふと思い出して名前で検索することがある。地元に帰って幸せに暮らしている様子を、地域の広報誌のオンライン版によって知ることができた。彼の半生も綴られていて、相応に挫折も味わって帰郷したけれども、本人は人生に納得しているようで何よりだ。
昔の連絡先は記憶にも記録にも残っていないし、どのみちもう不通だろう。広報誌の出版元に手紙でも出してみようかとも思ったがーこの歳になると、「そのうち、またいつか」は永遠に来ないことがだんだんわかってきたーやめておいたほうがいいかな、と思いとどまった。
過去と折り合いをつけられているからといって、過去からの訪問者が歓迎されるとは限らない。お互いに知り得ない数十年があり、家族とともに作り上げる今の生活と、ともに歩んでいく未来がある。あの日六本木で交わったおれたちの道は下北沢駅で分かれたきり二度と近づくことはないけれど、おれは三軒茶屋の名前も知らない飲み屋の軒先の灯を見たときの高揚感をまだ覚えていて、これからも忘れないだろう。