@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

Web 日記は止まらない

↓を読んで、タイトルで脊髄反射したくなっただけ。

トラックバックがあった時代のブログ作法ってこういう感じだったな、と懐かしくなった。タイトル含めて他人のブログ記事にお返事するというか、アンサーソングというか。もちろん元記事はお前に向けて書かれたものではないので返事もクソもないだろ、という話なのだが。

おれはインターネットにテキストを書かずにはいられない人間で、これを禁じられたら精神に失調をきたすこと間違いなしと思う。なので逆に書かずにいられる人たちのことが正直いうと信じられない。しかし世の中の大半の人はウェブ日記を書き続けたりしない、ということに十年くらい前から徐々に気づき始めて、いまでは確信に至った。これはおれの才能だ。インターネットにテキストを書き続けられる才能。なんの役に立つんだと言われれば特になんの役にも立たないとしかいいようがない、しょぼい才能だけど、それでも稀有な才能には違いない。だってウェブ日記を足掛け二十年も書き続けてる人なんて、百人に一人もいないだろうから。

はてなダイアリーの前もドリコムブログで書いてたし、ブログを持つ前は 2ch や類似の匿名掲示板サイトで地下スレというのを二年くらいやっていた。地下スレはたぶん累計で二桁はあったと思う。2ch タイプの掲示板は一スレ 1000 レスが上限だが、実は件数以外にスレごとのテキストデータのサイズにも上限があり、おれは地下スレに長文を連投していたのでレス件数が 700 件台でサイズ制限にひっかかったりしていた。地下スレ時代が一番頻度も文章量も書いていて、ほぼ毎日、出来事や考えを延々と書いていたと思う。まさにウェブ日記だった。

地下スレ日記が異常だったと思うのは、普段掲示板で他者と交流するときはコテハンを使っていたのに、地下スレに書くときは名無しで書いていたので、ぱっと見だと誰が書いてるかわからない。もちろん他人が管理してる掲示板なので、書いたテキストの所有権も書き手である自分が完全にコントロールできない。編集も削除もできない。自分が書いたことを証明する手段もない(まだ ID システムが実装される前だった)。なのにかなりプライベートなことも書いていて、完全に個人的な日記帳扱いしていた。名無しが隠れ蓑になったこと、見ず知らずの人のほうが案外プライベートなことを打ち明けやすいことなど、いくつか要因はあったと思うが、それにしても書いたそばから書いたことの所有権を手放す、それをむしろよしとして好き好んで地下スレに寄生していたのは、やはりどこか倒錯していたというか狂っていたように思う。そう、ちょうどまさにこの長い段落のような調子で、思いついたことを思いつくまま書き連ねていた。

たぶんあれがおれにとってインターネットにテキストを書く行為の原体験となっていて、どこかで「ひとたびテキストが書かれたならば、それはもうおれの一存で消したり書き直したりできるべきではない、むしろインターネットに所有され存在し続けられるべき」という思想をいまも持ち続けている。ただこれはおれのオリジナルなアイデアではなくて、妖精現実フェアリアルという有名なウェブサイトで「テキストは書き手の意思とは独立して存在できるべきである」という思想に基づくテキストを読んで植え付けられた思想だ。そんなわけで、インターネットにテキストを公開することにこだわるのは、検索エンジンやインターネットアーカイブなどにキャッシュが残るとか、実データは消えても読んだ人の記憶に残るとか、めし書き手のおれがテキストを消すという暴挙に出たとしてもテキストの存在が抹殺されて「なかったこと」にされないための最後の防波堤としたい、という深層心理的な動機もあったりする。もちろん、最低限の質を担保するとか、検索で見つかる確率を高めるとかの理由もあるけれど。