@kyanny's blog

私は天才ではありません。ただ、人より長く一つの事と付き合っていただけです - アインシュタイン

「情報通信白書」

2005年9月29日

2年前との比較で、インターネットの普及により、30〜35%程度のユーザが雑誌やテレビに使う時間・支出が減ったと答えている。「ウェブ調査」で有効回答数2,079とあるが調査方法はハッキリせず、無作為性も分からないので、統計学的には信頼できない。常識的にはネットのせいで雑誌やテレビが衰えるのは当たり前とも思えるが、 3人に一人しか減っていないというのは実際より過小な気もする。「情報メディア別の情報収集用途」でテレビの方がポイントが高いのは「ニュース」だけなので、 3人に二人はテレビはニュースくらいしか見ない、ということなのかもしれない。もっともこれも質問があいまいで、テレビのニュースでは加工された情報を一方的に浴びることはできるが、それを「情報収集」と呼ぶのが適当かどうかは分からない。

http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/whitepaper/ja/h17/html/H1202100.html

「インターネットの効用・社会的影響」の調査はさらに問題で、インターネット利用者にインターネットは良いか悪いか尋ねているのは、あまり意味があるとは思えない。山小屋で登山は楽しいですかとアンケートするようなものだ。「全体的にみて、社会に対してよい影響をもたらしている」(そう思う、どちらかと言えばそう思う、影響はない、どちらかと言えば逆であると思う)のような誘導尋問も調査方法としては理想的でなく「社会に対してどんな影響があると思うか」(非常に良い影響、良い影響、影響なし、悪い影響)みたいに尋ねるべきだ。内容も「あなたにはどんなイメージがありますか」「あなたの直接の体験としてはどうですか」「世間ではどのようなイメージを持たれていると思いますか」といった三段階くらいを区別した方が良い。「違法有害情報の氾濫等の犯罪を助長する」などというのは、イメージ的なことと直接の経験が必ずしも重ならない。児童ポルノ、特許や商標の侵害などはありそうだが、客観的に見て別に氾濫はしていない。名誉毀損、個人情報漏洩、複製権侵害などもありそうだが、それらは親告罪、事故、民事などで、情報自体がただちに違法とか犯罪であるとかいうことはない。質問者は全体としてインターネットは役立っているという答えを誘導しようとしており、したがってネットを否定するような悪意があるわけでなくむしろ逆の作為があるのだが、それにしても「有害という漠然としたイメージ」と「犯罪」を短絡させる思考は危険である。

http://www.johotsusintokei.soumu.go.jp/whitepaper/ja/h17/html/H1202300.html

半面、これらの誘導尋問の各項目は質問者らがイメージしている「ありうべきインターネットの肯定的・否定的な影響」を反映しており、質問者らのインターネットに対するイメージが推測される。「情報検索が便利になる」「新ビジネスが生まれる」「音楽がオンライン販売される」のような分かり切った項目や、上記の「有害」うんぬんのイメージ的な項目もある中に、ひとつ「プロとアマの格差があまりなくなる」というのがある。答えを自分で言ってしまう誘導尋問ではあるが、内容的にはいい線行っている質問だ。もっとも選択肢に「どちらかと言えば」そう思う、などとあり、設問自体にも「あまり」なくなるとあり、あいまいだ。「プロとアマという区別は原理的に無意味になった」と思っている回答者は、出題者の意図を逆推測せずに正直に反応した場合「あまりなくなる」どころの騒ぎではなく「完全にそうなっている」と考えるから「そうは思わない」と答えてしまう。プロというのを「それを収入源として職業として」と定義した場合、アパッチもPHPも技術的にはプロの作品ではない、そしてその上にウェブというのは乗っている。「プロの作品ではない」というのは昔の言語体系では「一流とは言えない」「品質が劣る」という含意だった。ではプロが作ったウェブサーバーはウェブスクリプト言語は、といえばIISとASPが比較的普及しているわけだが、それがアパッチとPHPより品質が上なのかと言うのは微妙だ。

インターネットの世界では、いろいろなことが従来と違う働き方をする。オープンソースという意味でのフリーソフトウェアの方がフィードバックが機敏で、品質が良い。これは有料か無料かの区別ではない。 Operaは無料になったがtitle要素が改行文字を含むとクラッシュする、というばかげたバグがある。 Mozilla系でこんなことがあったら重大なバグとしてファイルされ遅くとも数夜後には修正されてしまうはずだ。 Mozillaにかぎらず、オープンソースのものは、誰でも簡単に、バグ報告という形で開発に参加できる。だからプロかアマかという区別をしたければアマチュアの作品である。アマチュアといっても、プロのプログラマー(あるいは職業でなくてもプロ級の人)もボランティアでやっているので品質はプロなのだが、その開発自体は職業でないのでプロとしての仕事ではない。その意味でも、プロかアマかという区切り自体になじまない。

プロとかアマとかいう個人の属性ではなく、属性不明の不特定多数の共同作業だ。

インターネットではオープンソースなどのリソースの分散・共有・再利用がきわめて当たり前であり、その感覚が直接間接にエンドユーザまで及んでいる。ところで「日本でもオープンソース開発を盛んにしよう」といった発想は、それ自体がオープンでないわけで、海外からの参加を許さないのであれば、間違っている(オープンソースの定義に合わない)

白書の言う「世界のフロントランナーとして2010年には世界最先端のICT国家として先導する」といった発想は、ローカルの物理的なインフラに限っては意味を持つが、根本的にインターネットに対する無理解に立脚している。第一に、日本で情報発信しているとしてもサーバの物理的位置も情報利用者(例えば音楽の購入者)の物理的位置も日本とは限らないのだから、もし万が一日本国内の通信路だけがセキュアになったりより高速になっても、ネット的には、あまり意味がない。第二に、国家が先導して五か年計画を策定できるような甘い世界ではない。インフラの整備はできるだろうが、何のために?どんな経済効果が?ということは、国家がコントロールできるレベルをはるかに超えてしまっている。「リーダーなどいないし一国ローカルの制度だけでは役立たないボトムアップで動く世界において、国家・政府はどのようなかかわり合いをするべきなのか」とまず自問するべきだ。インターネット全体に司法権を及ぼせる世界国家のようなものが超管理を行うことは理論上、可能である。ひとりひとりのミクロな発信者が中心となって、全体における中心のない系を構築することは単に可能であるだけでなく、インターネットの現実であり強化されつつある方向性でもある。けれどもインターネットにおいて国レベルというのは非常に中途半端で、検察も裁判官も弁護士も一般に実態を把握しておらず、わけの分からないことを言い、ネット関連の法律を作ってみても実効性がなかったり、今のところ作れば作るほど全員にとって不便になったり。過渡期の混乱の中で国家の果たすべき役割も多々あるはずだが、それは決してネットの発展においてリーダーになることではない。リーダーがないのがネットなのだから。偉いお役人がマウスを使えるようになっても、ネット全体の中では、要するに、一初心者に過ぎない。もし仮に「わたしを誰だと思っている。これこれこういう肩書きの偉い役人なのだ。逆らうと怖いぞ」などと言っても、「ああ、はい、そうですか」で終わり。しかし役人だから悪いということはなく、誰だか分からない人の情報でも有用なら参照され自律的に拡散する。ネットとはそういうものなのだ。

「いつでも、どこでも、何でも、誰でもネットワークにつながり、情報の自在なやりとりを行うことができるユビキタスネット社会」と言いながら、日本のことしか考えないのは矛盾だし、その白書自身、独自インターフェイスの使いにくいフレーム、実際、間違えてもくじだけ開いたらどこにも飛べずに困った。ページを見ても、HTMLもちゃんと書けない初心者。そんなレベルの人たちに将来像を提示してもらっても仕方ないし、そもそも役人等がベテランになってリードする必要もない。山でたとえれば、山のことをまるで知らない初心者が「私についてきてください」などとリードすればろくなことにならないし、「登山技術の未来」など語ってほしくないが、標識の整備とか、環境問題とか、遭難などの事故があったときの体勢(現場はプロである必要があるが)、のように、側面的には国や地方が活躍すべき場はいろいろあるはずだ。

特に注意すべきは「誰でもバスに乗って座っていれば頂上まで行けるように道路と定期バスを整える」というのは登山の本質を破壊する行為であり、本人が「わたしは山の醍醐味なんて分からないし、座って頂上まで行けるほうが便利だと思う」と考えている門外漢・初心者であるからといって、その行為は正当化されない。インターネットも事前学習によってある程度までギャップを抑えることはできるとは言え、やはり経験してみないと良さも危険も本当には分からないことが多い異文化世界だ。学校などで外国語のように教えるより、さっさと参加して自分も住み着きネイティブになってしまった方が手っ取り早いし、言われなくても普通そうしているだろう。

となると、国のやるべきことは行政の手続きなどの「電子化」などではなく、逆に、インターネットに興味がなかったり、環境がまったくなくても、特に困らないように保証すること、でないか。

※強調は転載者による