@kyanny's blog

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上から目線と昭和の風習の話を読んだ感想

まず最初に、僕は「昭和の風習」側の人間です。
「昭和の風習」側の意見は、つまるところ「バカなんて言うのはひどい」という感情論に行き着くと思う。

人間なんだから意見に感情が影響するのは仕方ない。理論武装していかにも感情論ではないかのように発言するのが良くないのだと思う。

http://d.hatena.ne.jp/hira_sosuke/20090216/1234790160 に、

上から目線なネガティブコメントを書く人は読み流せない(書かなければ気が済まない)

という事なんだろう。これはエントリを書いた人(&内容)の問題ではなく、上から目線

攻撃しないと気が済まない事情を抱えた人の内面的な問題なんだと思う。

http://d.hatena.ne.jp/hira_sosuke/20090216/1234790160

と書いてある。「上から目線攻撃しないと気が済まない事情を抱えた人の内面的な問題」とは、上から目線の人の自尊心にかかわる問題だと思う。

以下は僕の想像だが、やたらと他人の失敗に対して手厳しい意見を言う人は自尊心がとても高くて、他人より自分が秀でていることを常に確認せずにはいられないのだと思う。だから、どうでもいい他人のどうでもいい失敗や間違いに対して、バカだのアホだの死ねばいいのにだのと、悪感情を丸出しにして厳しい言葉を投げつける。そうやって、「自分よりこいつは劣っている、自分のほうが優れている」と悦に入る。強い劣等感を抱いていて、そこから目をそらしたり、ストレスを発散したりするために、他人をおとしめているのだと思う。

そして、そういう人こそ失敗を指摘されることを嫌うはずだ。そんなことをされたら、自尊心は粉々に砕け散ってしまう。だからなんとしても自分の失敗は隠蔽しようとするだろう。吉岡さんのいう「上から目線の人達は失敗を隠蔽する社会を作っている」には、そういう人たちに対する皮肉も込められていると思う。

そして、オオツネさんは上記の「自尊心の高い人たち」ではないので、彼のコメントに対してはこう言えばよかったはずだ: 「あなたには言ってないので、意味がわからなくて結構です」

感情を重視する人と、そうでない人では、議論はできない。理屈が正しいのなら妥協する余地はないし、感情というものは理屈の正しさとは無関係なのでやはり歩み寄れない。僕が最初に書いた「バカなんて言うのはひどい」という感情を、少なくともオオツネさんはさっぱり理解できないことだろう。オオツネさんの意見に便乗している人たちの多くは「自尊心の高い人たち」で、自尊心を満たすために他人を叩いているだけだろうけど。

「「1 は 1 である」は真なので、 1 に対して「1 である」と言うのは正しい」には何の異論もないのに、 1 をバカと置き換えて「「バカはバカである」は真なので、 バカに対して「バカである」と言うのは正しい」になったとたんに「バカなんてひどいです!」と、僕は感じてしまうなぁ。この例はなんだか滑稽すぎて笑えちゃうけど。これは単なる表現上の問題ではなくて、もっと心の深い部分が反応している気がする。

追記の前に

オオツネさんのコメント 上から目線と昭和の風習の話を読んだ感想 - 刺身☆ブーメランのはてなダイアリー を読んで追記分を書いたのだけど、 Piro さんが僕の言いたいことを全部書いていた。Latest topics > 行為をバカな事だと言ったのか、人を馬鹿な人だと言ったのか、それがわかりにくいのが問題だ - outsider reflex

けどせっかく書いたものなので、公開するだけしておこうと思う。

追記

この手の話題に首を突っ込むときは、あいまいなことを書くと手厳しいツッコミをうけて返り討ちにあうものだと経験上知っているので、上の文章を書くときは慎重に推敲したのだけど、それでもコメントで突っ込まれてしまった。

otsune
>「「バカはバカである」は真なので、 バカに対して「バカである」と言うのは正しい」

異論があるとしたら、この事例では「バカ」ではなく「バカな行為」と範囲を限定しているので、その表現だとずれている。
「バカな行為をした人物に対して、行為そのものについてではなく、その人物に対してバカと言っても良いかどうか」という問題とすり替わっているようにも読めてしまう。

僕がかいた文章内で「バカ」の指し示す範囲がぼやけていることは書きながら意識できていたのに、ついそのまま書いてしまっていたなあ。

この「「バカな行為をした人物に対して、行為そのものについてではなく、その人物に対してバカと言っても良いかどうか」という問題」に対しては、僕は「はてブコメントやブログのコメントといった手段で「バカだなぁ」という場合には、明示的に「○○という行為がバカだなぁ(××さんがバカだと言っているわけではない)」と範囲を限定すべきだ」と思う。

同じ「バカだなぁ」でも、面と向かって言う場合には表情やイントネーションによって発言者の感情を読み取ることができるので、受け手が「この「バカ」は、行為に対するものか人物に対するものか、どちらなのか」を判断しやすい。一方、はてブコメントやブログのコメントには発言者の感情を表す要素が乏しいので、行為に対して「バカ」と言ったに過ぎないのに受け手が「自分という人物に対する侮辱である!」のような誤解をしがちだ。

僕はそういう誤解をしやすいタイプなので、バカの範囲を明示してもらったほうが安心できるし、突っ込む側としても、「発言の意図を誤解された上に誤解に基づく受け手の勝手な被害妄想を根拠にして「あなたはひどい人だ!」などと意味不明の反論をされる」という無用なやり取りを避けられると思うので、「バカ」という言葉を使うときは「バカ」の指し示す範囲を明示して曖昧さを無くしたほうが良いと思う。

念のため書き添えますが、上に書いた「バカの指し示す範囲を明示すべき」という意見は、僕の個人的な願望に過ぎず、他の誰に対してもそれを強要するものではありません。

追記のあとに

要するに「FUD を FUD と見抜けない人には(インターネットで意見交換するのは)難しい」ということか。

「自分はバカの指し示す範囲を誤読してしまいがちだ」ということがこれでわかったので、今後は何かに対する批判を見かけたときは、どこまでが批判の対象になっているのかを慎重に読み取る努力をして、誤解に基づいて意見しないように気をつけようと思う。感情にまかせると結局、自分のためにならない。