@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

男の子牧場

アメーバが婚活ブームに便乗したサービスを作ったそうで。

広報ブログが荒れているようだ http://ameblo.jp/cair/entry-10260663830.html#main

いくつかコメントを読んでみたが、家畜扱いされるのが嫌だとか、個人情報の流出が問題だとか、あとは女性が男性を値踏みするための仕組みであることに不快感を示している人が多いようだ。

で、少し前に読んだこの記事を思い出した。

http://nnri.dip.jp/yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=2877

結論からいうと、「草食系男子」という言い方は嫌いだ。いい歳をした男を「男子」と呼ぶのは、恋愛資本主義陣営がむりやり人間を商品にしようとしているように感じる。小学生の女の子が、教室の中でキャッキャと恋愛の話ではしゃぐような感覚がある。いい歳をした人が「男子」という呼称をもって男の人を見るとき、そこには中年男性がセーラー服の女学生を見るのと同じ視線があるのではないか。

「男子」という表現は、不特定多数の成人男性を、小中学生男子のような未熟な男性のイメージでくくり、仮想恋愛の対象として(主に)想像の中で楽しむ行為のようにおもえる。だとすれば、それは一部の成人男性が、女学生を性的対象として仮想恋愛の中で遊ぶ行為にほとんど等しい。もちろん、そういった「遊び」が想像の中でのみ行われていたり、現実の犯罪や苦しむ人を生まないならば、その限りにおいて自由にやってもらっていいとおもう。

ただ、その遊びを想像の外に出し、性的視線を実在する女学生や成人男性に向けることは下品であるし、反社会的行為であると認識すべきだ。これは、見知らぬ異性に対して性的視線を向けることは反社会的であるということを根拠とする。また、そのような嗜好を公の場で堂々と表現することは好ましくない。「草食系男子」という言葉や、そのようなマーケティング行為は、潜在的に誰かを傷付けたり、傷付けようとする性質をもっている。できれば人々には、そのことに無自覚であってほしくない。

http://nnri.dip.jp/yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=2877

まさに、男の子牧場はこの記事で指摘されていた懸念点をずばり具現化したものだといえる。


以下、男女平等について、何となく思ったことを書き出してみたが、とてつもなく長いので読むのは薦めない。

さて、もう1つおもうのは、草食系といわれる人たちの一部は、男女平等に基づくリベラルな人たちなのではないかということだ。男女平等を重んじるからこそ、彼らは「これは男性がすべき仕事」で「これは女性がすべき仕事」と分けて考えない。どんな仕事も、男性ができるなら男性がやればよいし、女性ができるなら女性がやればよいと考えている。だから「デートは男性から誘うべき(女性が誘ってはいけない)」とは考えないし、「デート費用は男性が負担すべき(女性が負担してはいけない)」とは考えない。そのような先入観から解放されている。まぁ、それ以前に女性と付き合った経験がなくって、どうすればよいか分からないだけという男の人も多いだろうけど…。

ただ、番組を見てて一番おもったのは、「男性がもっと恋愛に積極的になるべき」とか「男性が家計費用を負担しなければならない」といった価値観は、男女平等やジェンダーフリーの観点からすると「アウト」だということを、どうして誰も意識したり指摘したりしないのかということだ。あれだけ人数がいて、「男女平等」を言う人がいないこと(途中まで見ていただけなので、見ていないところで言ってたのかもしれないが。あと、言う人がいたけどカットされてたのかもしれないが)に驚く。それは男尊女卑であり女尊男卑だ。

http://nnri.dip.jp/yf/momoka.cgi?op=readmsg&id=2877

不勉強なので間違ってるかもしれないけど、現代日本における男女平等は、フィフティ・フィフティという意味ではないと、俺は理解している。男女平等に反対する人はほとんどいない、大多数の人は男女平等は良いことだと考えていると思う。が、実際には、多少アンバランスであっても、ケースバイケースで自分に有利になるように「平等」の分割割合を変えているし、変えられるのが当然だとみなしていると思う。

うまくいえないが、うーん、本当に言語化すらまともにできないのだが、あるケースでは「平等」は、男性六割女性四割、くらいで男性が得るものが多くなるように線引きされることがあり、またあるケースでは逆に、女性七割男性三割くらいに分割されることがある、と感じている。論理的に考えるとこれって男女不平等にあたるんじゃね?という事象にぶちあたったとき、自分以外は誰も不平等さを感じておらず、むしろその偏ったパワーバランスこそが「平等」なのであり、それを均衡にしてしまったら、見せかけの「平等」が崩れてしまって、かえってそのほうが不平等だ、と言われてしまう、ような。

で、そういうアンバランスさを、大多数の人は、意識的にか無意識にかはわからないが、認めているばかりか望んでいるのではないか、と思っている。厳密に平等、なんてのは融通が利かないから嫌だね、それよりは不平等であっても都度バランスを調整できるほうがいいよね、だから不平等でいいよね、でも平等は良くないとは言いづらいのでこれを「平等」と呼ぼう、みたいな。

いちおう、アンバランスさというのは、性のちがいによって必然的に生じる差は考慮した上でさらに偏っているもの、と断っておく。「女性は男性に比べて体力面で不利なのに、男性と同じ量の肉体労働を課すのはダメだろ」みたいなのは、そりゃ同じ重量はこべってのは無茶なので標準化して等しい作業量になるように調整するのは考慮して、その上でさらに偏ってる場合、のことを考えている。

男女平等とか、フェミニズムとか、そういう話題だと「男性が女性の性を商品として扱うことは女性蔑視であり女性差別なので悪」ということが言われる。ほぼ全ての男性が、これを正しいと言うと思うが、それは建前で多数の男性は、女性の性を商品として扱うことに、対して罪悪感も差別意識も感じないと思う。もちろん、本音でそう考えている男性もいるのだが、多数派ではないと思う。

で、じゃあ逆に「女性が男性の性を商品として扱うことは男性蔑視であり男性差別なので悪」は成り立つのか?これを正しいと考える女性はいるのか?ということを考えると、さっきとはちょっと違うのではないか、という気がする。本音では悪だと思ってないけど建前で悪ですと言っておこう、という女性は、あまり多くないのではないか、と思う。女性の性を商品として扱うことと、男性の性を商品として扱うことはイコールではない。男性の性なんてものは、考慮するに値しないか、そもそもそんな問題ははじめからなかったと思われているような。

そこが、平等って言ってるけど実際不平等じゃん、と感じることの一例になっている、俺の中では。

男性の性を商品として扱うことももちろん悪です!と考える女性もいるのかもしれないが、そもそもそういう考え方の女性は、婚活だとか草食系男子だとかいう言葉を肯定的にとらえたりしないし、男の子牧場に対しては、あれを非難している人たちと同じように感じると思うから、うーん。

結論は特にない(というか、見ての通りまともに考えを書いてまとめられない)が、それでも考えたことには意味があり、書いてみたことにはさらに意味がある(俺自身のために)と思うので、こういうことを考える機会を与えてくれた記事に出会えてよかったなと思う。