@kyanny's blog

My thoughts, my life. Views/opinions are my own.

仕事とやる気と環境と

誤解を招きたくないので念のために先に書いておくけど、今の仕事への不満とかボヤキではないです。幸運なことに、もし何か不満があったら直接言おうと思えるほど信頼の置けるひとの下で働けてるので。

不名誉なことなのでいままであまりブログや Twitter には書かなかったけど、おれは前職では相当ダメなスタッフだった。特に勤怠がひどくて、一週間のうち五日遅刻してた(それも5分10分じゃなくて一時間とか二時間とか)誇張して自虐感を出してるとかじゃなくて本当にひどかった。そのくせ周囲から一目置かれるようなめざましい成果をあげていたわけでもないので(むしろあそこのレベルに照らし合わせたらおれ程度では下から数えたほうがずっとはやかった)自分で「おれっていらない子だな」と感じていたし周囲からもそのように見られていただろうなと思う。たぶん L 社のひとに「刺身ってどうだったの?」って聞いたらめちゃくちゃ酷評がかえってくると思われるのでそういう話題はおれがいない IRC チャンネルとかでやってもらえると助かります・・・(見聞きするのがとてもおそろしいので)

そういうの、自分でも良しとは思っていなくて、人並み以下のことしかできていないという事実はとてもへこむのでなんとかしたい気持ちはあるのだけど、ちゃんとできてないと思うと劣等感はつのるしやる気はなくなっていくしでさらに悪くなっていくばかりだった。輪をかけてダメだった点として、おれは自分がダメな理由を自分以外に求めて環境のせいにしてしまったので、ダメな自分が嫌だったはずなのにいつのまにか自分がダメになったのは環境のせいだと考えるようになっていって、救いようがないほどダメになった。要するに逃げたんだけど、逃げたこと自体は悪くないと思っていて、逃げ方が良くなかった。もっとはやい段階で、もうダメになりつつあるからこれ以上悪くならないように手を打とうと考えて行動に移すべきだった。つまりあと二年はやく辞めるべきだった。

何が言いたいかというと、何もかもうまくいかなくなってしまうことはあって、たとえいろいろ恵まれていたとしてもその時点で本人にとってそれがベストであるとは限らなくて、どうしようもなくなったときはやっぱり思い切って環境を変えてリセットして仕切り直すというのは効果があるよね、という。だからどうしたと言われると困るんだけど、そういうことを考えてしまうようなことがあったので(自分の身にではないです)あと当時のことを振り返ると自分のダメさ加減を差し引いてもまだ言いたいことはあったのだけど、そういうのを力でねじ伏せられるほど圧倒的な何かを持ってたら自分の思い描くように振る舞っていられたはずで(というか実際比較的自由にというか自分の意志に正直に振る舞っていられたひとを何人か知っている)そういう圧倒的なものを持ってない、要するに平凡なんだから他の平凡なひとがこなしてることはお前もこなせよ(遅刻せず出社するとか)という意見は至極まっとうで、そのまっとうさを認めずにいつまでもダメだった自分を棚に上げて相手の揚げ足ばかりとって自分を正当化するようなのは見苦しいな、と感じることもまたあったので、こんなことを書きたくなったのだった。

あんな風には二度となるまい、と思っていて(あんなに毎日みじめな気持ちで過ごすのはもうごめんだ)何が原因であんな風になってしまったのだろうかとよく考える。いろいろな要因が相互作用していたのだけど、たぶん一番根っこにあって最初のドミノになったのは「見栄」だったと思う。世間でそれなりに(あまり良いイメージではなかったけど)名前を知られていた有名企業で働いていて、特に業界内では技術力の高さで一目置かれる集団の一員で、あと一応自分自身もブログやハンドルネームをそこそこ知ってもらえていて、「おれすげー」みたいな勘違いをしてたと思うし、そういう勘違いははしかみたいなもので誰しも経験あるんじゃないかと思うんだけど(はてブのホッテントリにのって100ブクマ超えたときとか)勘違いの上にさらに勘違いを重ねてしまって「おれはすごくなきゃいけないんだからしょぼいことはできない」とか見栄をはりだしたらとたんに劣等感が首をもたげてきて、あとはどんどん負のスパイラルにはまっていってしまった。

そういう勘違いをおこさないためにはどうすればいいのか、についてもよく考えていて、最近は「自分の本来の姿よりもよく見せようとするのが見栄なので、普段から本来の自分の姿を見せていれば格好つけようがないので見栄をはらずに済むのではないか」という仮定のもとに「■」というやる気のないエントリでどうでもいいことをお送りしています。