@kyanny's blog

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現在の勤務先では、ミーティングは参加者の中で一番偉い人の名の下に開催され、本人が仕切る。アジェンダの各パートはそれぞれ受け持ちの部下が話すし資料の投影なんかは専属のアシスタントがやるが*1、ミーティングの開始終了やアジェンダの進む戻るは主催者=一番偉い人の判断で行われる。アメリカというか欧米の会社は、などというと主語が大きくてよくないしそもそも一社しか経験がないが、しかしこれがスタンダードのような気がする。

一方日本の大きな会社は、とこれも経験の少なさは似たり寄ったりだが、偉い人の名の下に開催されるミーティングであっても本人が仕切らないことが多い。偉くなればなるほど、アシスタントでもなく直属の部下でもないがなぜか重役に近い仕事をする役回りの人がいて*2、その人が会議招集するしアジェンダも用意するし場も仕切るのが普通のようだ。一番偉い人はろくに発言すらしない場合もある。単に威厳と追認のために同席している感じ。

これまでこの違いを意識することはなかったが、比べてみるとだいぶ違う。前者の方が好みだ。仕切り役が他の誰かを立てたり気を使ったりして変な空気になることがないので、聞いててスッキリする。後者において偉い人が参加する意味ってなんなんだろう。

そもそも偉い人の名の下に開催されないミーティングも、日本の会社では多かった。というかほとんどのミーティングがそうだった。一方アメリカの会社では逆で、というには立場や役割が違いすぎていて比べられないのだが、観測範囲内ではやはりなんとなく「誰が主催者=仕切り役=責任者なのか?」が不明瞭なミーティングはあまり多く開催されていないように思える。これも文化の違いによるものなのか。

*1:専属アシスタントがつくくらいの重役の場合

*2:経営企画部門や人事部門の所属が多い