面白かった。ひるがえって自分自身に当てはめてみると、なお面白い。
採用する側の立場としては、「スター型」がベストだと思っていたが、あるときから「エンジニア型」を経て「コミットメント型」の採用方針にシフトしていったように思う。
個人的な価値観としては自分自身も含め全員スター型人材でありたいという願望があるものの、文字通り「トップ人材だけを雇う」のは現実的に不可能であることを認めざるを得なかった(あの有名な◯◯さんをフルタイムで雇えるか?と自問してみればよい)。要するに現実味のあるレベルまで妥協して、結果的に類型が近い「エンジニア型」へと組織のあり方や採用方針が移ろっていったのだが、これが失敗だった。
当時は「組織設計」など考えたこともなかった(そもそも「組織」を考えるのは嫌いだった。ダサいと思っていたので)。なので素朴に、「トップ人材は無理でもハイスキル人材を選べばよい」と考えていたが、これがスキル偏重・カルチャーフィット軽視の採用に繋がった。会社への帰属理由がバラバラな新人が価値観のキャリブレーションを経ないまま採用する側に回り、ズレが増幅する、という悪循環に陥り、入社日の新しい順に辞めていくような悪夢のような数ヶ月間を過ごすことになった(これは期待値調整を怠った採用側のミスであり、当時いた元社員には何ら過失は無かったことは強調しておきたい。また、「入社日の新しい順に辞めていくような〜」は比喩であり、実際にあった出来事はもう少し緩やかだった)。
組織の管理・運営方針の切り替えが遅れたのもまずかった。組織の初期メンバーは「スター型」の価値観の持ち主ばかりで、それについて無自覚でもあった。採用基準を「エンジニア型」に切り替えるタイミングで管理・運営方針も「自己規律」から「ピア・文化」に切り替えなければいけなかったが、採用する側だった初期メンバーは文化形成なんてものにまるで関心が無い(そんなものなくても一人でできて当然でしょ?という価値観)。新しく入る人たちの組織機能に対する期待値とは大きな乖離があった。
苦しい時期を経て、「カルチャーフィットが一番大事」と考えるに至り、今度は意志を持って採用方針を変えた。変えたというか、このとき初めて「方針を立てた」のだろう。帰属意識を高く持ってもらうためには事業領域への関心度合いが肝要であると繰り返し説明し、書類選考や面接の合否も細かくチェックして方針とのズレを感じたらその場で訂正した(現場のエンジニアは採用する際「即戦力になるか?自分たちの足を引っ張らないか?」という短期目線で考えるものなので、現場任せで放っておくとすぐスキル偏重・経験(実績)重視に偏ってしまう。こまめなバランス調整が必要)。
文化形成にも一応気を配った(苦手だが)。組織にとってプラスな言動は称賛し、他の人が見習いやすいように啓蒙した。メンバーが日々の仕事のなかで行動に移しやすくするため、目標設定にも盛り込むようにマネージャーに働きかけた。正直あまり上手にできた気はしないが、やらないよりはマシ、といえる程度には組織の安定に役立ったと思う。こうして典型的な「コミットメント型」の組織にしていった結果、 eNPS スコアは上がり、離職者は減った。
一方、自分自身の主観を排して会社としてどのような組織設計を念頭に置いて運営されてきたのか、そして実態はどうなのかと考えると、「エンジニア型」から買収を経て「コミットメント型」を強く指向してきたが、徐々に「官僚型」の影が見え隠れしてきているーといったところだろうか。
スタートアップの初期フェーズは組織設計なんていってる場合じゃないと思うが(そうではない、という趣旨の記事への感想文でいうことではない)、あえて類型から選ぶとすれば「エンジニア型」が近かったと思う。ただし、事業の特徴のおかげで帰属意識は「好き」の色もあったし、管理・運営は「スター型」スタイルに近かった。
買収されて数年経ち、親会社との文化的・制度的融合を進める段階になり、また同時期に海外拠点が急増したことによる一体感の醸成も重要になってきたタイミングで、わかりやすい「コミットメント型」の組織設計方針がとられたように思う。先に述べたようにエンジニア組織は冬の時代を迎えつつあったが、会社全体としては良い雰囲気ができていた。会社が「コミットメント型」を前面に打ち出してきていた頃にエンジニア組織は「無自覚なエンジニア型」だったので、同じタイミングで意識的に「コミットメント型」へと切り替えられていれば、いろいろ違ったのかもしれない。
「コミットメント型」の組織設計が浸透し、安定してめでたしめでたし、とはならないのが組織の難しいところなのだろう。人が増えると「ピア・文化」だけで組織運営していけなくなるのか、制度による統治が幅を利かせ始めた。文書化の不備を指摘する声が増え、それを是正しようとする動きが出てくる。意欲と能力を兼ね備えた人の「染み出し」でこぼれ球が拾われている状況はやりがい搾取的で悪であるという正論が支持され、役割分担が明確に線引きされていく。それでも(それだからこそ)発生するこぼれ球が境界線の間に落ちないように仕組みで担保すべく、様々な方法論(フレームワーク、ベストプラクティス)が導入され、あらゆるプロセスが重厚・厳密になっていく。そうして出来上がったものが体系化されて会社のお墨付きを得た末に「制度」化され、ついには「制度」運用のための人的リソースが割り当てられる。官僚の誕生である。
「官僚型」の組織運営においては、混沌を秩序で置き換える形で物事が進んでいく。基本的には従業員にとって利益がある制度が作られる(官僚は公僕なので)が、官僚の価値判断基準はあくまで秩序第一であり、従業員利益第一で動いているわけではない点は注意が必要だ。
閑話休題。件の記事にも
上記の各軸の選択肢は互いに独立して選ぶようなものではないらしい
とあるように、ある軸が変化するとそれ以外の軸もつられて(変化した軸と横のラインが合うように)変化するようだ。管理・運営の軸が「ピア・文化」一色から「制度」との混色になっていくにつれ、他の軸で組織を眺めたときもやはり価値観が混成してきていると感じられる。互助は人間的な繋がりに価値を置くからこそ成り立つものであり、人間的であるということは混沌さを内包するということだ。混沌を嫌い秩序を重んじる価値観が強まるごとに、人間的な価値観が弱まるのは、パワーバランスとして不思議なことではない。
最後は結局「官僚型」の悪口になってしまったが、
どこかの段階で仕組みと制度で動く官僚型組織にしないとスケールしない、というのは現実の観測に合っている感じがしませんか?
には完全に同意する。「官僚型」の組織設計に基づいて組織運営したうえで、いかにして官僚的すぎない文化を取り入れ維持していくのかーそこが肝であり、帰属理由が「好き」であるコミットメント型とのハイブリッドを目指すのがバランスに優れているー帰属意識が高く従業員を retain しやすいので組織が安定し長続きする、ということなのだろう。